八幡市 (福岡県)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 20:12 UTC 版)
歴史
市域は律令制下では筑前国・豊前国にまたがる地域だったが、廃藩置県によって福岡県に属した。もとももは寒村であったが、1901年に日本初の近代製鉄所である官営八幡製鐵所の建設地に選定され、以後はこの八幡製鐵所を軸に工業都市として飛躍的に発展し、「鉄の町」と呼ばれるようになる。
太平洋戦争中の1944年6月16日の八幡空襲では、アメリカ陸軍航空軍がB-29を初めて日本本土空襲に投入した。空襲は同年8月20日の空襲以降1年近くなかったが、終戦直前の1945年8月8日の八幡大空襲で大きな被害を受けた。翌8月9日にはアメリカ陸軍航空軍が隣接する小倉市への原子爆弾投下を予定していたが、八幡大空襲で発生した煙が流れ込むなどして小倉市上空が視界不良だったため長崎市への原子爆弾投下に変更したとされる。
行政区域の変遷
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、遠賀郡尾倉村(111戸)大蔵村(145戸)枝光村(109戸)が合併して八幡村が発足。尾倉村の豊山八幡神社、大蔵村の乳山八幡神社、枝光村の枝光八幡宮と、3村とも産土神八幡神を鎮守神としていたことから命名された[1]。
- 1900年(明治33年)2月10日 - 遠賀郡八幡村が町制を施行して、八幡町となる。
- 1917年(大正6年)3月1日 - 遠賀郡八幡町が市制を施行して、八幡市となる。
- 1922年(大正11年) - 市章を制定する。一般公募によるもので、日章旗を時計廻りに8等分レイアウトして、「8旗=やはた」をシンボライズした。
- 1925年(大正14年)4月28日 - 企救郡板櫃町大字槻田・小熊野の各一部を分割して編入する。板櫃町の残余は小倉市に編入する。
- 1926年(大正15年)11月2日 - 遠賀郡黒崎町を編入する。
- 1937年(昭和12年)5月5日 - 遠賀郡上津役村を編入する。
- 1944年(昭和19年)12月8日 - 遠賀郡折尾町を編入する。
- 1954年(昭和29年) - 小倉市田代(旧企救郡西谷村域)の一部を編入する。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 遠賀郡香月町および鞍手郡木屋瀬町を編入する。
- 1958年(昭和33年)11月1日 - 一部を直方市に分離と編入がされる。
- 1963年(昭和38年)
- 1974年(昭和49年)4月1日 - 八幡区が八幡東区と八幡西区に分割される。
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