伊香保ケーブル鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/01 17:42 UTC 版)
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 |
日本 群馬県高崎市八島町65 |
設立 | 1928年(昭和3年)7月2日 |
業種 | 陸運業 |
事業内容 | 旅客鉄道事業 |
代表者 | 社長 萩原栄治 |
資本金 | 100,000,000円 |
発行済株式総数 | 2,000,000株 |
特記事項:1966年度現在(『私鉄要覧 昭和41年度版』 42頁) |
停車場・施設・接続路線 | |||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
概要
伊香保温泉から榛名山のヤセオネ峠を登るケーブルカーとして1929年9月6日に関東鋼索鉄道により開業。会社設立には上毛電気鉄道社長で製紙王と呼ばれた大川平三郎が関与していた。傾斜長2090mは、当時愛宕山鉄道鋼索線 (2135m) に次ぐものであった(伊香保ケーブル鉄道廃止後は2025mの比叡山鉄道坂本ケーブルが日本最長となっている)。新伊香保駅までは東武伊香保軌道線(1956年廃止)の伊香保駅からバスで連絡していた。
1934年には伊香保ケーブル鉄道に改められた。しかし、その後の太平洋戦争により不要不急線として1944年に休止されレールは撤去された。
戦後、休止から18年後の1961年に運転を再開したが、モータリゼーションの波に飲まれて輸送数は減少に転じ、並行して1962年10月に伊香保榛名有料道路(1981年に群馬県道33号渋川松井田線として無料開放)が開通したことが致命的となって1966年7月10日に休止した後、同年12月19日に復活後わずか5年で廃止された。
戦後の1961年から使われた車両は日立製作所製であった。デザインは同じメーカーによる1959年製造の六甲ケーブル(兵庫県)のものや、1964年製造の八栗ケーブル(香川県)の車両と酷似したものであった。
路線データ
運行概要
1961年の再開時点
- 運行本数:8:30から17:30まで終日30分間隔
- 所要時間:全線11分
- 運賃:片道100円
歴史
- 1927年(昭和2年)7月8日 関東鋼索電気鉄道に対し鉄道免許状下付[1]
- 1928年(昭和3年)7月2日 関東鋼索鉄道株式会社設立[2]
- 1929年(昭和4年)9月6日 関東鋼索鉄道により開業[3]
- 1934年(昭和9年)2月12日 伊香保ケーブル鉄道に社名変更[4]
- 1944年(昭和19年)2月11日 休止
- 1961年(昭和36年)8月13日 運行再開
- 1966年(昭和41年)7月10日 休止
- 1966年(昭和41年)12月19日 廃止許可
駅一覧
新伊香保駅 - 榛名山駅
- ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1927年7月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『日本全国諸会社役員録. 第37回(昭和4年)』、『地方鉄道及軌道一覧 : 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1929年9月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『地方鉄道及軌道一覧 : 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 1 伊香保ケーブル鉄道とは
- 2 伊香保ケーブル鉄道の概要
- 3 輸送・収支実績
固有名詞の分類
- 伊香保ケーブル鉄道のページへのリンク