下駄 下駄の概要

下駄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/17 08:07 UTC 版)

一般的な下駄
下駄作りの様子(1914年)

歴史と呼称

履物の下駄の起源は田下駄であるとする説がある[2]。田などで使用されたと考えられるこのような道具は、紀元前3,000年前の中国浙江省寧波市の慈湖遺跡からも出土している(ただし慈湖遺跡の出土品は歯のない板状のもの)[2]。足の保護や水田湿地での沈み込みを防ぐため使われたとみられる道具は、日本では弥生時代登呂遺跡(静岡県)からも出土しており、同様の履物は20世紀まで使われ続けた地域がある[3]

農具ではない履物としての下駄は5世紀の桓武山ノ花遺跡(静岡県浜松市)や鴨田遺跡(滋賀県長浜市)から出土しているが、鼻緒の素材にどのようなものを使っていたかは不明である[2]

室町時代から江戸時代にかけて支配者層を中心に下駄が使われるようになったが、庶民一般の履物となったのは江戸時代後半で地域も江戸や大坂などに限られていた[2]

かつては普段着の洋装に下駄を履く場合もあり、男子学生がファッションとして崩れた洋服(学生服)などに下駄を履いていることをバンカラと呼んだ。

日本で下駄が最も普及していたのは機械化による大量生産が進んだ昭和30年代頃とされている[4]。1940年代からゴム製の履き物が登場し売り上げが落ち始め[5]、戦後のアメリカナイゼーションモータリゼーション等で廃れたが、1960年代までは洋服に下駄履きで遊ぶ男児は珍しくなかった[6]

呼び名の成立は戦国時代と推測される。それ以前は「足下(あしした)」を意味する「アシダ」と呼称され[7]、漢字は「足駄」など様々な字があてられていた。「アシダ」は上履き・下履きを問わなかったが、これを下履きに限定した語が「下駄」である(「駄」はアシダの略)。

海外では、木版を使う下駄にあたる履物が古代エジプトや中東アジア・一部ヨーロッパでも使用されていた。東南アジア・東アジアでは、稲作を行う南方地域で広く使用されており、鼻緒のある下駄は日本や中国南部の一部少数民族、東南アジアで使用されてきた。田下駄のように大きめの板に通した紐に、足を引っ掛けて履いたもので、後に発達する「下駄」のルーツと同様の系譜と考えられている。中国北部や朝鮮半島では下駄の使用が元々一般的でなく現在は使用されていない。

構造

下駄の側面図

日本には緒を用いる履物として、足を乗せる部分に木の台を用いる下駄、草や樹皮などの柔らかい材料を用いる草履(ぞうり)、緒が踵まで覆い足から離れないように踵の後ろで結ぶ草鞋(わらじ)の3つがある。木製の草履は中国及び朝鮮半島にもあるが、日本語の下駄にあたる言葉はなく、木靴まで含めて木履という。なお、日本人が想像しやすい二本歯の下駄は、中国・朝鮮で使用されている木履とは形が異なる別物である。

人の足を載せる部分を台という。下駄は台の素材、台表の有無、塗の有無でも区別される[8]

台の素材は遺跡から出土する下駄の樹種でも、檜、栗、松、朴、桂、樫など多様である[2]。現代では軽くて繊維が長く割れにくく足への当たりが柔らかいが多く使われている(会津産など)[2]。また、が使われることも多く、各地の林産品に杉の下駄がみられ、特に大分県日田市(日田杉)の杉下駄は有名である[2]

下駄には台表が付いているものもある[8]。台表面にイグサや裂いた竹を編んだ表(おもて)を貼り、台自体に七つの切れ目を入れて歩行時に足の裏に台が追随するようにした下駄に八ツ割下駄がある(歯はない)。

塗の有無では漆塗りと白木が多いが、白木は雨や皮脂に弱いため、雨の日に履いたり素足で履いたりすることは避けられた[8]。なお、下駄などの先端に雨よけや雪よけのために付ける革やビニールの覆いを付けることもあり爪革(つまかわ)という[9]

一本歯下駄

台の下に付けるのが歯であるが、考古学や民俗学では、一本の木から彫り出した連歯下駄、歯のない無歯下駄、台に別に作った歯を取り付けた差歯下駄の三種に分ける[2]

差歯下駄の場合、台と歯の樹種が異なるものもあり、歯に柔らかく粘り強い朴材を使ったものがある(朴歯の下駄)[2]。また立ち仕事の多い板前が使う下駄には堅い樫材を使ったものがある[2]。歯の高い差歯高下駄は降雨時に用いられ、歯がすり減ってくると新しい歯に交換して使い続けることができる[10]。なお、差歯の下駄で台の表面まで差歯が見えているものを露卯(ろぼう)という[11]。露卯下駄は江戸時代末期頃までは盛んに使用されたが、明治以降は急速に衰退し昭和初期には使用されなくなった[12]

小町下駄や千両下駄のように前方下面が斜め向きに(前のめりに)切り落とされている形状を「のめり」という[2]。前の歯が「のめり」となっており後ろの歯が駒下駄のようになっているものは千両役者がよく履いていたことから千両下駄と呼ばれている[13]。横から見たときに「千」の字に似ているからという説もある[2]

下駄には歯の先端に滑り止め用ゴム(三平式ゴム歯)を付けたものもあった[14]

歯が一本の下駄を一本歯下駄といい役行者像にみられるように修験者が履いていたとされる[2]。一本歯下駄は天狗が履いていたとという伝承もあり「天狗下駄」とも呼ばれる。

鼻緒

眼に通す紐を緒または鼻緒という。色とりどりの鼻緒があることから「花緒」とも書く。鼻緒(花緒)は下駄や草履などに用いられ、足の指で挟む前緒と足を押える横緒からなる[15]

台には3つの穴を穿つ。前に1つ、後ろに左右並んで2つ。これを眼という。後ろの眼の位置は地域によって異なり、関東では歯の前、関西では歯の後ろが一般的である。

台に鼻緒を付けることを「鼻緒をすげる」という。緒の材質は様々で、古くは麻、棕櫚、稲藁、竹の皮、蔓、革などを用い、多くの場合これを布で覆って仕上げた。鼻緒は現代の既製品では麻縄を芯にして心材とクッション材を巻き付けたものである[2]。鼻緒は伝統的なすげ方があり、前緒を留めた後に金具の前金を被せる[2]。前金には鼻緒の結び目を隠して泥が入り込むのを防ぐ役割や歯の磨り減りを防ぐ役割があったが、歯の磨り減りを気にするのは粋ではないとされ江戸時代にはあまり用いられなかった[16]

特徴

下駄の音

木製であるため、歩くと特徴的な音がする。「カラコロ」あるいは「カランコロン」と表現されることが多い。そのため、祭り花火の日に浴衣姿で歩く場合や、温泉街の街歩きなどでは雰囲気を出す音であっても、現代の町中では騒音と受け取られることも多く、(床が傷むことも含め)「下駄お断り」の場所も少なからずある。この対策として、歯にゴムを貼った下駄も販売されている。歯にゴムを貼る目的は音だけではなく、今日の舗装道路では歯が非常に早く摩耗するため、それを防ぐためにゴムを貼ることも少なくない。これは硬い朴歯でも同じである。

下駄の足跡

歯を持っているため、下駄の足跡には独特の痕跡が残る。

歌人の田捨女(今の丹波市江戸時代の女六歌仙の一人)は6歳のとき「雪の朝 二の字二の字の 下駄のあと」と詠んでいる。


  1. ^ 意匠分類定義カード(B5) 特許庁
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 太田朋宏「下駄をつくる授業の改善と検証 : 工芸の授業題材のあり方を求めて」『東京学芸大学紀要 芸術・スポーツ科学系』第62巻、東京学芸大学学術情報委員会、2010年10月、19-29頁、ISSN 18804349NAID 1100084523312021年8月25日閲覧 
  3. ^ Q3 田下駄はどのように使っていたの? 教育出版ホームページ(2018年1月24日閲覧)
  4. ^ 吾妻下駄(整理番号0931) 岩倉市
  5. ^ スーパーボランティア・尾畠春夫さんが語った「壮絶なる我が人生」(週刊現代,齋藤 剛 ) | 現代ビジネス | 講談社(2/4)
  6. ^ 【モノごころ ヒト語り】下駄/軽くて丈夫な桐 足守る『日本経済新聞』夕刊2018年1月13日(社会面)
  7. ^ 例として、『七十一番職人歌合』二十二番の返し歌に「下駄(あしだ)作り」の記述がみられる。なお、幕末期では下駄屋は紐を結ぶ技法を有していたことから甲冑師の手伝いもしており、『甲製録』には「下駄屋まで甲冑製作の手伝いとなった」と記されている。
  8. ^ a b c d e f g h i j 磯映美「大村しげ寄贈品における女物和装履物についての報告」『国立民族学博物館調査報告』第68巻、国立民族学博物館、2007年、197-217頁、doi:10.15021/00001449ISSN 1340-6787NAID 1200017305682021年8月25日閲覧 
  9. ^ 爪革 岩倉市
  10. ^ 差歯高下駄(整理番号0957) 岩倉市
  11. ^ 民俗分野 山形大学附属博物館
  12. ^ 宮本馨太郎「露卯下駄の終焉 : 長谷部言人博士喜寿記念論文」『史苑』第22巻第1号、立教大学、1961年9月、37-51頁、doi:10.14992/00000964ISSN 0386-9318NAID 110009393831 
  13. ^ 千両下駄 岩倉市
  14. ^ 差歯高下駄(整理番号0956) 岩倉市
  15. ^ 鼻緒(花緒) 岩倉市
  16. ^ 前金 岩倉市
  17. ^ 浅田茂樹『井筒笥』2014年7月1日発行杉浦一蛙堂印刷全159頁中59頁
  18. ^ 「日光下駄 素足に草履がさらり」『日本経済新聞』朝刊 NIKKEI The STYLE 2017年9月10日
  19. ^ 沼田桐下駄 群馬県ふるさと伝統工芸士会 (2021年8月24日閲覧)
  20. ^ 駒下駄 岩倉市
  21. ^ 芳町下駄 岩倉市
  22. ^ 吾妻下駄(整理番号0930) 岩倉市
  23. ^ 著者名. "下駄を履かせる". デジタル大辞泉. コトバンクより2024年2月23日閲覧


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