ヴェーザー演習作戦 概略

ヴェーザー演習作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/25 09:34 UTC 版)

概略

1940年4月9日(ヴェーザー日)早朝にドイツ軍はデンマークとノルウェーに侵攻した。侵攻部隊のノルウェー上陸予定時刻(ヴェーザー時)はドイツ時間5時15分(ノルウェー時間4時15分)と定められた。

侵攻の表向きの理由は、フランスイギリスが両国の中立を犯して占領を計画していたことに対する予防的な措置であるとされた。侵攻後、ドイツの大使はデンマークとノルウェー政府に対し、ドイツ国防軍はフランスとイギリスによる侵略から両国の中立を守るためにやってきたのだと述べた。

デンマークとノルウェーの地理や位置、気候は大きく異なっていたため、実際の軍事作戦は大きく異なったものとなった。デンマークは侵攻初日の4月9日に、クリスチャン10世とデンマーク政府は条件付で降伏した。5月下旬までノルウェー北部ではイギリス・フランス・カナダ・ポーランド連合遠征部隊とノルウェー軍がドイツ軍に対して戦闘を続けていたが、フランスではドイツ軍が英仏軍左翼を破って英仏海峡に到達する状況で、5月25日には連合国派遣軍のノルウェーからの撤退が決定された。連合国派遣軍の撤退とともに、ノルウェー政府と王家および一部のノルウェー軍はイギリスに亡命した。撤退作戦は6月8日に完了し、国内残留ノルウェー軍は6月10日に降伏した。

背景

英仏は1939年9月にドイツとの戦争を始めたが、ドイツ本国に侵攻して戦争を終了させる計画はなく、主に経済的にドイツを締め上げる方策が検討された。その中で注目されたのは、戦争経済に必要な資源の中で、ドイツは鉄鉱石と石油を完全に輸入に頼っていることであった。1938年にドイツは約2200万トンの鉄鉱石を輸入していたが、戦争の勃発とともに1000万トンしか輸入できなくなったが、このほとんどは、スウェーデン産であった。スウェーデン産鉄鉱石は、夏季は、ボスニア湾のルーレオ港から積み出され、冬季は、その4/5はノルウェーのナルヴィク港から、1/5はスウェーデン南部のオクセレスンド(Oxelösund)港から積み出されていた。ナルヴィク経由の鉄鉱石輸送はノルウェーの領海内を航行するため、ノルウェーの中立を侵害しない限り妨害することは出来なかった。英国のチャーチルは終始一貫して鉄鉱石輸送ルートを叩く案の熱心な支持者であった。

ノルウェーは戦争の開始とともに中立を表明し、ドイツはこれを支持したが、中立が侵害された場合は必要な措置をとると言明した。この表明は他の中立国に対しても同様に表明されたものである。実際のところ、当初ドイツにはノルウェーに侵攻する意図や計画はなかった。

1939年10月、ドイツの海軍総司令官エーリヒ・レーダー元帥はノルウェーにイギリスの基地が出来ることによる危険性や、そうなる前にドイツ軍が占領出来るかどうかということをアドルフ・ヒトラーと議論した。海軍はノルウェーを占領することでその周辺海域も支配下に置け、将来イギリスに対する作戦を行う潜水艦の基地として利用できると主張した。しかし、その時は陸軍や空軍は興味を示さなかった。ヒトラーも北欧諸国が中立政策を維持していたこともあり侵攻することは当初考えておらず、フランス侵攻作戦(Fall Gelb)の準備に注力するよう指示しただけであった。

11月下旬、イギリス戦時内閣に新たに閣僚として加わった海相ウィンストン・チャーチルがノルウェー領海内への機雷敷設(ウィルフレッド作戦)を提案した。それはドイツの鉄鉱石輸送船が沖合いを航行せざるを得ないようにすることで、イギリス海軍によって、その航行を阻止できるようにするというものである。チャーチルの考えでは、ウィルフレッド作戦はノルウェーでのドイツ軍の反応を引き起こし、そうなった時は、連合国軍はR4計画を実行しノルウェーの一部を占領する、というものであった。ネヴィル・チェンバレン首相やエドワード・ウッド外相(ハリファックス卿)はアメリカ合衆国など中立国の間で反感が生じるおそれがあるとして、チャーチルのこの考えに反対した。

11月にソビエト連邦フィンランドとの間で冬戦争が勃発し外交状況が変化すると、チャーチルは再び機雷敷設計画を提案したが、却下された。

12月、イギリスとフランスは冬戦争でソ連から攻撃を受けているフィンランドへ援助を送ることを本気で計画し始めた。その陸軍参謀部による計画は、フィンランド救援を口実にナルヴィクへ部隊を上陸させ、ナルヴィクとボスニア湾沿岸のスウェーデンルレオとを結ぶマルムバナンという鉄道をコントロール下に置くことを求めていた。この計画はチェンバレン首相とエドワード・ウッドも支持した。英仏両国は、ノルウェーとスウェーデンの好意的な対応を期待していたが、ノルウェーとスウェーデンがはっきりと拒絶したため、英仏では否定的な意見が強くなった。遠征計画の準備は続行されたが、1940年3月に冬戦争が終結するとそれを正当化する理由もなくなってしまった。この計画が実施されていたならば英仏はソ連と戦争することになり、第2次世界大戦のありようは、大きく変わっていただろう。

12月14日にアルフレート・ローゼンベルクとレーダー提督の斡旋で、ノルウェーのヴィドクン・クヴィスリングはヒトラーと会談したが、この中で彼はイギリスがノルウェーの同意のもとノルウェーを占領する可能性、ノルウェー内の親英勢力の動き、自分の勢力によるクーデター計画を述べ、支援を訴えた。ヒトラーはクーデター計画を支持しなかったが、クヴィスリングに経済的援助は約束した。

3月12日にフィンランドがソ連と講和してしまうと、フィンランドへの援助を表明していながら何も出来なかった英仏首脳は批判の矢面に晒されることになった。フランスでは3月20日にエドゥアール・ダラディエ首相が退陣し、新たにポール・レノーが首相となった。チェンバレンは首相のポジションを維持できたが、批判を躱す為に以前は慎重であったウィルフレッド作戦とR4計画を支持する立場に転換した。レノー首相はノルウェーでの戦争には賛成であった。3月28日の英仏合同戦争会議で、両国は4月5日にウィルフレッド作戦を実施することで合意した。しかし、イギリス海軍の艦船のやりくりの都合で、実際の実施はさらに遅れ4月7日となった。

ドイツ軍の侵攻計画

英仏がノルウェーの一部を占領する可能性を懸念したヒトラーは、1939年12月14日にOKW(国防軍最高司令部)に対してノルウェー侵攻計画の素案策定を始めるよう命じた。OKW作戦部次長ヴァルター・ヴァルリモント大佐の下、少数の幕僚によってまとめられたNordという名の研究案は、陸軍の1個師団のみしか参加しないものであった。1月に、OKWは海軍のテオドール・クランケ大佐をチーフとし、三軍より各分野の専門家を出させて、OKWの下で本格的な侵攻計画を練ることにしたが、秘密保持の為、異例なことにOKH(陸軍総司令部)やOKL(空軍総司令部)は計画立案からは排除され、立案グループは侵攻計画をヒトラーに直接報告する事になった。

計画の基本は、ノルウェー軍の動員センターのある都市を同時に奇襲し、ノルウェー軍の体制が整う前に圧倒して、反撃の余地を与えないことであった。主要攻撃目標は以下の都市で、海軍艦艇に分乗した陸兵を派遣して、ヴェーザー時(侵攻時)に上陸し占拠する。エゲルサンには、大西洋への海底電線のステーションがあり、その占領が必要とされた。

1940年1月27日、最終的な計画にヴェーザー演習作戦というコードネームが付けられた。

1940年2月21日、ニコラウス・フォン・ファルケンホルスト歩兵大将が作戦の司令官に選ばれた。ファルケンホルストは第一次世界大戦においてフィンランドで戦っており、極地での戦いに精通していた。その日から、ファルケンホルストとXXI軍団司令部の一部の参謀、クランケ・グループで作戦計画の見直しが行われた。

3月1日に、OKWはヒトラーの署名した総統指令10a(ヴェーザー演習作戦)を発令して、それまで、OKWと作戦立案者のみであった計画を三軍に公開したが、海軍を例外として、陸軍と空軍からは相当な反発があった。OKHやOKLの意向を反映して、第7降下猟兵師団や第22空輸歩兵師団などの精鋭師団は、作戦計画から落とされた。ヒトラーとOKWは統一司令部の設置を望んだものの、ゲーリングが強く反対したので、ファルケンホルストは陸上部隊に対してのみ指揮権を持ち、ファルケンホルストの司令は、OKW作戦部が海軍、空軍へ取り次ぐことになった。

Uボートも作戦の支援にまわすため、大西洋でのUボートの作戦ほぼすべてが停止された。何隻かの訓練用のものも含め投入可能な潜水艦はすべて、ヴェーザー演習作戦支援のハルトムート(Hartmut)作戦に投入された。

クランケ・グループによるオリジナル案ではノルウェーには侵攻するとともに外交手段でデンマークの飛行場を確保する計画であった。しかし、ファルケンホルストによる見直しでは、空軍の意向を反映して外交交渉による不確実性を排除するために、デンマークへも軍事侵攻することになった。デンマーク侵攻のため、2個歩兵師団と第11装甲擲弾兵旅団からなるXVI軍団が編成された。また、約1,000機からなるX航空軍団が全作戦の支援を行う予定であった。

日照時間の関係から、作戦が可能なのは、4月15日までで、それ以降は、ナルヴィクやトロンハイムなどでは、夜が短すぎて奇襲要素は期待できないとされていた。










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