ブルグント王の一覧 ブルグント王の一覧の概要

ブルグント王の一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 08:10 UTC 版)

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民族大移動期

聖ジギスムントの胸像

300年頃にブルグント族ボーンホルム島を去りヴィスワ川流域に落ち着いた。ヨルダネスはヴィスワ川流域でブルグント族は4世紀ゲピード族に敗北したことでラインラントに移動したことを記述している。

  • ゲビッカ英語版(4世紀後半 - 407年)
  • グンダハール(407年 - 436年) - ゲビッカの息子
    • グンドマール英語版(407年 - 411年) - ゲビッカの息子
    • ギセルハール英語版(407年 - 411年) - ゲビッカの息子
  • グンディオク英語版(436年 - 473年) - ローマ帝国の将軍アエティウスはブルグント族をサパウディア(上ローヌ川)に移動させた。
    • キルペリク1世 - 対立王。グンディオクの弟(443年 - c.480年)
  • グンドバト英語版(473年 - 516年、リヨン、480年以降全ブルグントの王) - グンディオクの4人の息子達によって王国は分割された。
    • キルペリク2世(473年 - 493年、ヴァレンス)
    • ゴドマール1世(473年 - 486年、ヴィエンヌ
    • ゴデギゼル(473年 - 500年、ヴィエンヌ及びジュネーヴ
  • ジギスムント(516年 - 523年) - グンドバトの息子
  • ゴドマール2世ないしグンディマール2世(523年 - 532年) - グンドバトの息子

532年から534年にかけてブルグントは徐々にフランク王キルデベルト1世及びクロタール1世によって征服された。

フランク王統治下のブルグント

メロヴィング朝

カロリング朝

843年ヴェルダン条約でフランク王国は分裂し、このときブルグントも分割された。シャルル2世ソーヌ川西部の小さい部分を相続した。この領域は公的にはregnum burgundiae(ブルグント王国)と呼ばれたが、フランス王は公を行政官として派遣したため、ブルゴーニュ公国ないしブルゴーニュとして知られるようになった。ロタール1世はソーヌ川東部の大部分を相続し、この部分はブルグント王国の名を保持した。855年にロタール1世が死ぬと遺領が息子達の間で分割され、ブルグント北部はロタール2世のロタリンギア王国領に、南部はシャルルのプロヴァンス王国領になった。ブルグント王位はロタール2世のロタリンギア王位に包含された。ロタール2世が死ぬと、メルセン条約によってロタリンギアは東西フランク王国に分割され、ブルグント王位はロタリンギア王位ともども空位となった。880年のリブモント条約でルートヴィヒ3世が全ロタリンギアを手に入れ、ブルグント王位を含むロタリンギア王位が復活した。

  • ピピン3世(751年 - 768年)
  • カールマン(768年 - 771年)
  • カール大帝(771年 - 814年)
  • ルートヴィヒ1世(814年 - 840年)
  • ロタール1世(840年 - 855年、817年以降父のもとで統治)
  • ロタール2世(855年 - 869年、ロタリンギア王)- ブルグント王位はロタリンギア王位に包含された。
  • 空位(869年 - 880年) - ブルグント王位含むロタリンギアは、870年のメルセン条約によって東西フランク王国に分割された。
    • シャルル2世(869年 – 870年、西フランク王)- ロタリンギア王を僭称。メルセン条約によって即位宣言を取り下げる。
    • ボソ(879年 - 887年、キスユラブルグント(プロヴァンス)王)- ロタリンギア王と別に、ブルグント王を僭称。
  • ルートヴィヒ3世(880年 – 882年、東フランク王) - リブモント条約により、ブルグント王位含む全ロタリンギアを獲得。
  • カール3世(882年 – 887年、フランク王)

ユーラブルグント王国

884年カール3世は全フランクを相続によって統一した。しかし888年カール3世が死ぬとフランク王国は再び分裂し、ブルグントも南北に分かれた。ブルグント北部(ユーラブルグント)の貴族及び聖職者達は聖マルタンのもとに集まり、古ヴェルフ家出身のオセール伯ルドルフ1世をブルグント王に推戴した。このブルグント王位はロタリンギア王位から分離されており、ロタリンギア王位は東フランク王アルヌルフが得た。ルドルフ1世は最初ロタリンギアを再統一しようとしたが、アルヌルフの抵抗に阻まれたため、上ブルグントの経営に専念した。933年にルドルフ2世はイタリア王位に対する自分の請求権をイタリア王国ユーグ・ダルルに譲渡する一方でブルグント南部を含むプロヴァンスを併合し、ブルグントは再統一された。

1032年にブルグント王国は神聖ローマ帝国に併合され、ブルグント王位もローマ王位に統合された。

神聖ローマ帝国としてのブルグント王国(アルル王国)

ザーリアー朝

  • コンラート2世(ブルグント王:1032年 - 1039年、神聖ローマ皇帝:1027年 - 1039年)
  • ハインリヒ3世(ブルグント王:1039年 - 1056年、神聖ローマ皇帝:1046年 - 1056年)
  • ハインリヒ4世(ブルグント王:1056年 - 1105年、神聖ローマ皇帝:1084年 - 1105年)
  • ハインリヒ5世(ブルグント王:1105年 - 1125年、神聖ローマ皇帝:1111年 - 1125年)

ズップリンブルク朝

  • ロタール3世(ブルグント王:1125年 - 1137年、神聖ローマ皇帝:1133年 - 1137年)

ホーエンシュタウフェン朝

  • フリードリヒ2世(ブルグント王:1212年、神聖ローマ皇帝:1220年 - 1250年)
  • コンラート4世(ブルグント王:1237年 - 1254年、1250年まで父の支配下に置かれた)

大空位時代

跳躍選挙

  • ルドルフ1世(ブルグント王:1273年 - 1291年) - ハプスブルク家
  • アドルフ(ブルグント王:1292年 - 1298年) - ナッサウ家
  • アルブレヒト1世(ブルグント王:1298年 - 1308年) - ハプスブルク家
  • ハインリヒ7世(ブルグント王:1308年 - 1313年、神聖ローマ皇帝:1312年 - 1313年) - ルクセンブルク家
  • ルートヴィヒ4世(ブルグント王:1314年 - 1347年、神聖ローマ皇帝:1328年 - 1347年) - ヴィッテルスバッハ家
  • カール4世(ブルグント王:1346年 - 1378年、神聖ローマ皇帝:1355年 - 1378年) - ルクセンブルク家

1378年、カール4世は国王代理である摂政職の永久授与という形でブルグントの支配権をフランスに譲渡した。これをもってブルグント王国の終焉とするが、ブルグント王位自体は1806年に神聖ローマ帝国が滅亡するまで歴代皇帝が保持した。




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