パナール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/18 03:37 UTC 版)
日本への輸入
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明治時代の1898年に日本で撮影されたというパナール車の写真があり、最初期に日本に輸入された自動車の一台であったと思われる。
第二次世界大戦後は1950年代から生産終了まで少数ながら継続して輸入され、1960年代前半には稲畑産業の子会社・メーゾンイナバタが輸入し、当時シトロエンを扱っていた日仏自動車が販売を担当する体制であった。ただし、主な納入先は自動車メーカーの研究用であった。1950年代前半に輸入されたディナXはタクシーにも用いられたが、同時期の多くの欧州車の例に漏れず、当時の日本における過酷な道路事情で早期にトラブルが多発し、パーツ難から使用不能に追い込まれたと言われる。
車種一覧
乗用車
軍用車
現行車
- パナール VBL - 2,300台が生産され、うちフランス軍に1,600台納入されている。他、16カ国に輸出。
- パナール VBR - VBLの大型化(長車体)版。
- パナール VAP - VBLベースの特殊部隊向け偵察/哨戒車両。
- パナール ERC - 6×6輪駆動の偵察装甲車。
- パナール VCR - ERCと車体コンポーネントを共有する 6×6輪駆動装甲兵員輸送車。
- パナール PVP - プジョー・P4の後継としてフランス軍に導入された小型軽装甲車。
かつて生産された車両
関連項目
外部リンク
参考文献
- GAZOO名車館 「1946年 パナール ディナ 100」「1953年 パナール ディナ ユニオール」「1963年パナール PL17」「1964年 パナール 24C」
- サロン・レトロモービル2015 パナール/Panhard et Levassor Dynamic X76 Coupé Junior - ca 1936
- ^ 「Panhard」のフランス語での正確な発音表記は「パンアール」の方が近いが、本稿では日本で定着している表記である「パナール」を用いる。また同社の正式な旧名は「パナール・エ・ルヴァッソール」(Panhard et Levassor)であるが、日本では「エ」を抜いた「パナール・ルヴァッソール」と表記されることが多いため、本稿ではこの慣例に従う。
- ^ それ以前のギアセットは床下露出状態で砂塵に晒されており、消耗が激しく、騒音も酷かった。
- ^ ラジエターはまだこの時点では、フィン付きのパイプを屈曲させただけの原始的設計だったが、それ以前の水冷エンジンが車体後部の冷却水タンクからの自然蒸発冷却に頼っており、水の消耗でパナール車でも100 km毎に1回は給水を要したことに比べれば、非常な進歩であった。
- ^ ダイムラーの新設計による2気筒1,200 cc・5馬力「フェニックス」エンジンを搭載したエミール・ルヴァッソール操縦の2座パナール「No.5」は、パリ - ボルドー往復1,178 kmを48時間48分で走破して、このレースの1位となった。ただしレースのレギュレーションである「4座以上」の条件を満たさなかったため、正式な優勝者とはならず、ルヴァッソールも承知の上での出場であった。延べ50時間に及ぶ連続ドライブは偶発事態と言うべきもので、スタートからルヴァッソールの運転ペースがあまりに速すぎたため、途中の交替地点で歯、予定より大幅早着の深夜となってしまったのが原因である。折悪しく交替ドライバーはまだ就寝中であったため、大幅リードに勢い付いていて、後続車に差を付けたかったルヴァッソールは、結局、途中で助手だけを乗せ替えて、ほとんど休憩を取ることもなく、往復全区間を運転しきってしまった。歓呼の声に迎えられてパリにゴールしたルヴァッソールは、ブイヨンとゆで卵を平然と平らげてから「深夜のレースは危険であるから避けた方が良い」と語ったという。当時の夜間ドライブは馬車並みの石油ランプに頼るほか無く、灯火類の改良は以後も安全面での切実な課題であり続けた。 1907年、フランス自動車クラブ(ACF)はルヴァッソールの壮挙を顕彰するため、ボルドーレースの発着点となったパリ市内のポルト・マイヨに、ルヴァッソールとパナールNo.5を彫刻した記念碑を建てている。
- ^ 『20世紀全記録 クロニック』小松左京、堺屋太一、立花隆企画委員。講談社、1987年9月21日、p201。
- ^ AFGコンセプトの小型車は、同時期にイギリスのケンドールやオーストラリアのハートネットといった新興企業も導入を試みたものの、量産化することはできなかった。
- ^ エンジンは空冷水平対向2気筒だがオートバイ並にシリンダーヘッドを一体構造としており、半球形燃焼室で対向する吸排気バルブが、バルブスプリングに同一のトーションバー1本を共用するという異例の設計であった。トーションバーバルブスプリングの採用は、他にはオートバイやレース用エンジンでわずかな事例がある程度である。 当初は別々のトーションバー2本を使用したが、のちに1本同軸・吸排気で互いに逆ねじりする方式となった。このためバルブオーバーラップの設定は不能である。しかもこのエンジンは、メインベアリングをローラーとしたうえ、メインローラー相互間にサブローラーを挿入してローラー同士の隣接摩擦を回避していた。この贅沢かつ奇想天外な設計は戦後型パナールに長く受け継がれ、1967年の「24」ティグル用最終型では、848 cc・60 HP(グロス値)という高性能を発揮した。
- ^ 前輪独立懸架は横置きリーフスプリングで当時としては普通の設計であったが、後輪はへの字型の鋼管車軸を片側あたりのべ4本もの横置きトーションバーで支持する複雑な設計で、固定車軸でありながら、一種、独立懸架に近い機能を確保した、他に類似例のない構造であった。
- ^ ディナXの車体生産が無くなって遊休設備を抱えたファセル・メタロン社は、ファセル・ヴェガ(Facel Vega)を自社開発し、高級車市場に進出する。
固有名詞の分類
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