クシャーナ朝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/18 17:30 UTC 版)
外部リンク
- 古代アフガニスタンのバクトリア語文書 - ウェイバックマシン(2005年9月28日アーカイブ分) - 古代オリエント博物館で行われたバクトリア語に関する講演の記録。ラバータク出土の新史料にも触れられている。東京大学文学部言語学研究室サイト内
注釈
- ^ 『後漢書』西域伝では高附翕侯の代わりに都密翕侯が上げられている。
- ^ 翕侯(きゅうこう)とはイラン系遊牧民における“諸侯”の意。烏孫などにも見受けられる。ベイリによればイラン語で“統率者”の意で、E.G.プーリーブランクによればトハラ語で“国家”の意であるという。また、のちのテュルク系国家に見られるヤブグ(葉護:官名、称号)に比定されることもある[要出典]。
- ^ 江上波夫は五翕侯を大月氏によって任命された月氏人戦士の封建諸侯であるとした[要出典]。
- ^ 榎一雄は大月氏における五翕侯を大月氏によって任命された土着有力者とした[要出典]。
- ^ クジュラ・カドフィセスによるカブール支配の確立は、彼が翕侯の地位についた後の出来事である。それはクジュラ・カドフィセスがヘルマエウスと共同で発行したコインの中にヤヴガ (Yavuga) という称号が刻まれている物があることから知られる[要出典]。
- ^ プリニウスは当時インド人がローマの金を年間5千万セステルティウス持ち去っていると記しているが、これにはクシャーナ朝にもたらされた分も含まれているであろう[要出典]。
- ^ ヴィマ・タクト (Vima takto) の名前は碑文の摩滅によって正確にはわからず、名前の最後を「to」と読む説は確定的ではない[2]。
出典
固有名詞の分類
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