キリマンジャロ 歴史

キリマンジャロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/14 17:52 UTC 版)

歴史

古代

現代においてキリマンジャロ山麓地方の主要な住民であるチャガ人は、すくなくとも1100年ごろまでにはキリマンジャロの南山麓に定着していたと考えられている[17]。チャガ人はバナナを中心とする集約的な高地農業の技術を持っており、キリマンジャロ山麓の気候はこの農法に非常に適していたため、チャガ人社会は拡大し、この地方に強固な基盤を築くこととなった。また、キリマンジャロで数を増やしたチャガ人はいくつかのサブグループに分かれ、一部は他地域へと移住していった。このころ北東山麓にはオンガモ人が移動してきていた[18]。キリマンジャロの周辺の乾燥した平原には牧畜民が居住しており、山麓の農耕民と活発な商取引きを行っていた[19]

ヨーロッパ人による「探検」

1847年、ケニアの東海岸で布教をしていたヨハン・ルートヴィヒ・クラプフ、ヤーコプ・エアハルト、ヨハネス・レブマンの三人のドイツ人宣教師は、内陸部に頂上がでおおわれた高い山があることを聞いた。この話に興味を持った3人は内陸部に調査に出かけることにし、3人のうちのレブマンが内陸部へと向かった。1848年5月11日、レブマンは内陸部のチャガ人の土地で、頂上が白くおおわれた高山を「発見」する[20]。海岸に戻ったレブマンはヨーロッパにこの高山のことを報告したが、頂上が雪に覆われているというレブマンの報告は、熱帯に雪が存在するはずがないというヨーロッパの地理学者の受け入れるところとはならなかった[21]

ヨーロッパ人による登頂の試みは、ドイツ人将校カール・クラウス・フォン・デア・デッケンとイギリス人の若い地質学者リチャード・ソーントンによる1861年のもの[22]が最初であるが、彼らは8200フィート(2500 m)の地点までしか到達できなかった[23]。1862年には、フォン・デア・デッケンはオットー・ケルステンとともに再度の挑戦を行い、14000フィート(4280 m)の地点まで到達した[24][25]

ヨーロッパ列強によるアフリカ分割が進んでいくとキリマンジャロはイギリス植民地領(現在のケニア)とドイツ領タンガニーカの境界線に位置するようになったが、後に、アフリカ最高峰だと知ったドイツ皇帝ヴィルヘルム1世は、イギリスに国境線の変更を要求する。結局、その要求は受け入れられ、1885年ベルリン会議においてこの地域はヴィルヘルム1世の誕生日のプレゼントとしてイギリスからドイツへと割譲された。このため、当初直線だった国境は、キリマンジャロ付近で大きくケニア側に湾曲した線になっており、山麓部分も含めた山体すべてがタンザニア領となっている[26]

初登頂を成し遂げたハンス・メイヤー

1887年にはドイツ人地質学者のハンス・メイヤー (地質学者)英語版が登頂を試み、キボ峰のふもとにまで達したが、キボ峰の雪や氷に対処する装備を持っておらず、引き返すことを余儀なくされた。翌年の1888年、メイヤーは地図製作者のオスカー・バウマンとともに再び登頂を目指したが、タンガニーカ海岸部で勃発したアブシリの乱によって中止を余儀なくされた。二人は反乱軍に捕らえられ、1万ルピーの身代金を支払うまで解放されなかった[27]1889年、メイヤーはオーストリア人の登山家Ludwig Purtschellerとともに3度目の登頂を目指した。この一行は2人の地元首長と9人のポーター、コック、ガイドからなっていた。モンバサから徒歩ではじめたこの試みは、あらかじめ各地に食糧供給用のキャンプを設置しておいたことからうまくいった。二人は凍った斜面を登った後、10月3日に火口の縁に到達し、10月6日にキボ峰の頂点に到達した。

近代

1900年ごろからは南麓でチャガ人がコーヒー栽培を開始し、1921年には海岸のタンガ港から南麓のモシまで鉄道が開通した[28]。これによってキリマンジャロ地方の開発が進展し、モシはコーヒーの集散地として都市化していった。1961年タンガニーカが独立すると、キリマンジャロもその領土の一部となった。独立し、1964年ザンジバルを合わせてタンザニア連合共和国となった新政府はウジャマー村と呼ばれる集村化と共同農場化を進めたが、キリマンジャロ山山麓はコーヒー生産を武器とした豊かな農業先進地区であり、こういった共同農業化はほとんど行われなかった[29]。結果的にこれが奏功し、ウジャマー政策が失敗に終わってもキリマンジャロ山麓地域の打撃は比較的軽微なものにとどまった。

1973年に山域の一部、75575 haがキリマンジャロ国立公園に指定され、1987年にキリマンジャロ山域を含むキリマンジャロ国立公園が、世界遺産に登録された[30]


注釈

  1. ^ タンザニア初代大統領ジュリウス・ニエレレの言葉が刻まれたレリーフがある。
  2. ^ 2005年までは入園料は30アメリカドルであったが、同年キリマンジャロ国立公園を管理するタンザニア国立公園公社(TANAPA)が入園料を倍額の60ドルに設定し、観光業界を中心に大論争が巻き起こった。

出典

  1. ^ * Kilimanjaro - Smithsonian Institution: Global Volcanism Program
  2. ^ Kilimanjaro Climbing FAQ
  3. ^ a b c d e f g h i j New K-Ar age determinations of Kilimanjaro volcano in the North Tanzanian diverging rift, East Africa (2008年) (PDF) - Nonnotte Philippe, Hervé Guillou, Bernard Le Gall, Mathieu Benoit, Joseph Cotten, Stéphane Scaillet、2017年5月閲覧
  4. ^ 「週刊朝日百科 世界の地理107」p187 朝日新聞社 昭和60年11月10日
  5. ^ 水野一晴『気候変動で読む地球史 限界地帯の自然と植生から』NHK出版、2016年、137頁。ISBN 978-4-14-091240-9 
  6. ^ トラベル情報「国立公園・国立保護区 SOUTHERN REGION~ サザン地区」 - ケニア大使館、2015年3月22日閲覧
  7. ^ 「気候変動で読む地球史 限界地帯の自然と植生から」p121 水野一晴 NHK出版 2016年8月25日第1刷
  8. ^ 「現代地図帳」三訂版 p43 昭和63年3月10日発行 二宮書店
  9. ^ 『新版アフリカを知る事典』p137(小田英郎川田順造伊谷純一郎田中二郎米山俊直監修、平凡社、2010年11月25日新版第1刷
  10. ^ 「気候変動で読む地球史 限界地帯の自然と植生から」p45 水野一晴 NHK出版 2016年8月25日第1刷
  11. ^ 「キリマンジャロの雪が消えていく―アフリカ環境報告」p28 石弘之(岩波新書、2009)
  12. ^ 「朝倉世界地理講座 アフリカI」初版所収「自然特性と大地域区分」水野一晴、2007年4月10日(朝倉書店)p9
  13. ^ キリマンジャロ 頂上の氷河 温暖化で2040年代に完全消滅の恐れ (NHK NEWS WEB)2021年03月01日閲覧
  14. ^ キリマンジャロの雪、十数年で消滅?”. ナショナル ジオグラフィック. ナショナル ジオグラフィック協会 (2009年11月4日). 2023年11月25日閲覧。
  15. ^ 「キリマンジャロの雪が消えていく―アフリカ環境報告」p30 石弘之(岩波新書、2009)
  16. ^ 『日本経済新聞』朝刊2017年3月12日サイエンス面「山頂の氷河、消滅寸前に キリマンジャロで京大調査」
  17. ^ C・エーレト「海岸地方と大湖地方の間」『ユネスコ・アフリカの歴史』4 下巻収録(重田眞義訳, D・T・ニアヌ編, 同朋舎出版, 1992年9月)p711
  18. ^ C・エーレト「海岸地方と大湖地方の間」『ユネスコ・アフリカの歴史』4 下巻収録(重田眞義訳, D・T・ニアヌ編, 同朋舎出版, 1992年9月)p710
  19. ^ C・エーレト「海岸地方と大湖地方の間」『ユネスコ・アフリカの歴史』4 下巻収録(重田眞義訳, D・T・ニアヌ編, 同朋舎出版, 1992年9月)p719
  20. ^ 「コンゴ河」pp190-191 ピーター・フォーバス著 田中昌太郎訳 草思社 1979年12月15日第1刷
  21. ^ アンヌ・ユゴン『アフリカ大陸探検史』p32 創元社,1993年 ISBN 4422210793
  22. ^ Gary Firth: in Target 1992 Portrait des Geologen Richard Thornton
  23. ^ Dundas, Charles. "Kilimanjaro and its People" 1924, Cass London, nTZ.info, accessed February 21, 2011.
  24. ^ Carl Claus von der Decken, bearbeitet von Otto Kersten: Reisen in Ost-Afrika in den Jahren 1859 bis 1865, Erzählender Teil 1871, Band 2 S. 52
  25. ^ Bernard Verdcourt: Collectors in East Africa – 31. Baron Carl Claus von der Decken 1833–1865 Text extracted from The Conchologists’ Newsletter, No.162, pp. 204–211 published September 2002
  26. ^ a b 「惹きつける力」栗田和明/「タンザニアを知るための50章」p26 栗田和明・根本利通編著 明石書店 2006年7月10日初版第1刷
  27. ^ History of Kilimanjaro: The conquest of Kilimanjaro
  28. ^ 『新版アフリカを知る事典』p268(小田英郎川田順造伊谷純一郎田中二郎米山俊直監修、平凡社、2010年11月25日新版第1刷
  29. ^ 「抵抗から建国」根本利通/「タンザニアを知るための50章」p70 栗田和明・根本利通編著 明石書店 2006年7月10日初版第1刷
  30. ^ 小学館編『地球紀行 世界遺産の旅』p278 小学館<GREEN Mook>1999.10、ISBN 4-09-102051-8
  31. ^ 『アフリカを知る事典』、平凡社、ISBN 4-582-12623-5 1989年2月6日 初版第1刷 p.272
  32. ^ 吉田昌夫『世界現代史14 アフリカ現代II』山川出版社、1990年2月第2版。p.110
  33. ^ 田辺裕島田周平柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』、朝倉書店 p355 ISBN 4254166621
  34. ^ 「おいしいコーヒーの経済学 『キリマンジャロ』の苦い現実」p28 辻村英之 太田出版 2009年6月15日第1刷
  35. ^ 「おいしいコーヒーの経済学 『キリマンジャロ』の苦い現実」p97 辻村英之 太田出版 2009年6月15日第1刷
  36. ^ 「おいしいコーヒーの経済学 『キリマンジャロ』の苦い現実」p160 辻村英之 太田出版 2009年6月15日第1刷
  37. ^ 「田舎の豊かさ」栗田和明/「タンザニアを知るための50章」p42 栗田和明・根本利通編著 明石書店 2006年7月10日初版第1刷
  38. ^ 「規則と入園料」 - タンザニア国立公園オフィシャル観光案内、2012年12月4日閲覧
  39. ^ 「大自然が売りもの」根本利通/「タンザニアを知るための50章」pp131-132 栗田和明・根本利通編著 明石書店 2006年7月10日初版第1刷
  40. ^ Northern Circuit route description2012年12月4日閲覧
  41. ^ Lemosho detailed route description2012年12月4日閲覧
  42. ^ Lemosho route picture gallery2012年12月4日閲覧
  43. ^ Machame detailed route description2012年12月4日閲覧
  44. ^ Machame route picture gallery2012年12月4日閲覧
  45. ^ Marangu detailed route description2012年12月4日閲覧
  46. ^ Marangu route picture gallery2012年12月4日閲覧
  47. ^ Rongai detailed route description2012年12月4日閲覧
  48. ^ Rongai Route Kilimanjaro2022年10月17日にアクセス
  49. ^ Umbwe detailed route description2012年12月4日閲覧
  50. ^ Africa Travel Resource - Tanzania, Tanzania Northeast, Mount Kilimanjaro, Kilimanjaro Umbwe2012年12月4日閲覧
  51. ^ Mount Kilimanjaro,2012年12月4日閲覧
  52. ^ a b Amazing Kilimanjaro Records”. Mount Kilimanjaro Facts. Climb Kilimanjaro Guide. 2015年7月16日閲覧。
  53. ^ Kilimanjaro records”. Background information on Kilimanjaro. Climb Mount Kilimanjaro Ltd. 2015年7月16日閲覧。
  54. ^ Tanzania: Swiss Conquers Kili in Record Six Hours AllAfrica.com 2014年8月23日
  55. ^ Matt Hart, Where in the World Did Karl Egloff Come From?, Outside 5, Mar 2015 2017年7月20日閲覧
  56. ^ New record for youngest person to reach the top 2018年10月26日
  57. ^ KINAPA renew efforts to enforce age-limits on Kilimanjaro 2018年7月18日
  58. ^ Oldest person to climb Mount Kilimanjaro guinnessworldrecords
  59. ^ 「広いがゆえの苦労」根本利通/「タンザニアを知るための50章」p154 栗田和明・根本利通編著 明石書店 2006年7月10日初版第1刷
  60. ^ 「タンザニアについて-国旗と国章」 - 駐日タンザニア大使館HP 2015年3月21日閲覧






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