カール・ヒルティ カール・ヒルティの概要

カール・ヒルティ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/09 19:53 UTC 版)

カール・ヒルティ
人物情報
生誕 (1833-02-28) 1833年2月28日
スイス ザンクト・ガルレン州ヴェルデンベルク
死没 1909年10月12日(1909-10-12)(76歳)
出身校 ゲッティンゲン大学ハイデルベルク大学
学問
研究分野 法学哲学
研究機関 ベルン大学
テンプレートを表示

敬虔なキリスト教徒として、人間などの主題を用いて、現代の預言者とも評されるほどの思想書を書き残した。また、そのようなテーマに深く踏み込んでいながらも、彼の著作には、非現実的な、空想的要素は含まれないという特徴がある。

経歴

思想

ヒルティについて最もよく知られている業績は、『幸福論』、『眠られぬ夜のために』などに代表される宗教的倫理的著作である。その他、法律家、政治家として著した著作も、すべて一貫したキリスト教信仰の精神に基づいている。ヒルティのキリスト教思想の特徴として、聖書の言葉を大変重んじていることが挙げられる。彼が最も愛読して感化を受けた書物は聖書であった。彼の著作の中では、聖書の語句を大変頻繁に引用しており、それを通して、キリスト教信仰者としてのあり方や、神への揺るぎない信頼と愛による忍耐を自身の経験を通じて述べている。聖書内でしばしば引用される書籍として、各福音書詩篇イザヤ書等の預言書などが挙げられる。聖書では、福音書内のキリストの御言葉を最重要視し、その他の書は添え物にすぎないとも言っている。ただし、これは聖書内のその他の書物を軽視するものではない。

聖書以外でもヒルティがしばしば引用する著作として、ストア哲学エピクテトスマルクス・アウレリウス、詩人のダンテなどがある。

確固とした信仰に根付いた生活を世の中でしていくために、さまざまな処世術や思考法、対処法などが著されており、中でも摂生的生活を旨としたヒルティが強調しているのは享楽を避けることである。ヒルティが避けるべきと繰り返し主張することとして、飲酒が挙げられる。彼は禁酒運動に力を入れ、『禁酒運動における大学生の使命』『禁酒運動における主な障害について』等の論文を著し、彼の助力でスイス国会で大多数をもってアブサン禁酒令が1908年に可決された[1]

その一方で、極度の心身疲労時などに、極めてごく少量のアルコール飲料を就寝前の薬用として用いるといったことに関しては健康上有益な場合もあるだろうとの記述も残っている。但し、不眠に対処をするための飲酒は厳禁としていて、代わりにりんごや蜂蜜などの軽い食べ物を勧めている。

また、彼自身は、そういった禁酒をその生涯の早い時期から行っていた訳ではなく、また、何よりもかつてイエス・キリスト御自身が必ずしも葡萄酒を遠ざけるということはなさらなかった[2]ということもあり、完全な禁酒に踏み切るまでにはかなりの時間が掛かったとも述べている[3]

その他、享楽と呼ばれるあらゆることを避けることを奨励している。これは、彼が、神経病や精神病についても造詣が深く、その疾病を避けるための、質素な信仰生活を尊ぶためである。

キリスト教信仰による生活が最良のものとしながらも、他宗教に関しての造詣も深い。代表として仏教インド哲学中国哲学イスラム教に関しても言及がなされている。同時に、当時のキリスト教の状態にも苦言を呈しており、形式的な教会通い、修道院生活、瞑想漬けの生活などの形だけの信仰のあり方を批判しており、教会制度の欠陥についても述べている。また、ヒルティの思想で指摘されることとして、キリストの死によって罪が赦されたという贖罪意識が薄いということ、社会主義唯物論に否定的であることが挙げられる。

しかしながら、彼は、やはり彼の最も重要な研究対象のひとつであった聖書と、そして、かつて神の子として地上に現れたイエス・キリスト自身が日々語り給うた言葉と、その行いを、全身全霊をもって把握し、模倣し、実行することだけが、人類にとっての唯一の福音であり、人が救われる道は、ただキリストの福音以外には決して存在しないだろうと結論付けた。また、その教えには恒久的な価値があるため、現代のどのような先進文明国にも必要なものであるだろうと考えた。

エピソード

  • 享楽生活を捨てる前のゲッティンゲン大学時代には、普通の学生と同じく奔放な生活を送って、酒宴や決闘の場に参加したこともあったという。
  • 大学の講義は早朝に行うことを好み、冬は8時、夏は7時に行った。大学が彼の75歳の誕生日を祝う催しについて時間の都合を聞いたところ、「最も都合のよいのは朝の7時」と答えたという。
  • ハーグ平和会議については、「この会議はあまりにも大規模なので、鈍重であって敏活にははたらくことができない。英独間の経済競争や、日米間の野心や勢力意識の相違のような深い隙間は、どんな平和会議をもってしても到底除かれない。平和はまず、心から平和を愛し、そして平和でありうる多数の個々人の間で成立するのでなければならない。そうすれば次第に国民の間に平和が実現するのであって、それまでは決して平和は成立しない。」と述べている。
  • ヒルティは、愛妻であるヨハンナ・ゲルトナーの優秀さを間近で見ていたことも関係し、婦人解放運動に積極的にかかわった。
  • 日本には、東京大学の哲学講師であり、彼の著書の愛読者であったケーベル博士によって初めて紹介され、以後親しまれてきた。

  1. ^ 岩波文庫『眠られぬ夜のために第一部』383頁
  2. ^ マタイによる福音書11章18節-19節、ルカによる福音書7章33節-34節。
  3. ^ 白水社『ヒルティ伝―ある偉大なるスイス人の生涯と活動』1959年版154頁


「カール・ヒルティ」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「カール・ヒルティ」の関連用語

カール・ヒルティのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



カール・ヒルティのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのカール・ヒルティ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS