ウルグアイの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/05 07:14 UTC 版)
概要
先コロンブス期の現在のウルグアイに相当する地域には、狩猟民族のチャルーア人や、農耕民族のグアラニー人が居住していた。1516年にこの地域を最初に訪れたヨーロッパ人はスペインのフアン・ディアス・デ・ソリスであった。ラプラタ川の東岸に位置したウルグアイは、植民地時代にはバンダ・オリエンタルと呼ばれ、他のインディアス植民地に比べると相対的に開発が進まないまま、北方のブラジルから進出してきたポルトガル人と、ブエノスアイレスを拠点にするスペイン人の争奪の対象となり、1680年にポルトガルが建設したコロニア・ド・サクラメントと1726年にスペインが建設したモンテビデオが屡々火花を散らした。19世紀に入り、ラテンアメリカ諸国の独立運動が進むと、リオ・デ・ラ・プラタ副王領の一部であったバンダ・オリエンタルには、ブエノスアイレス主導の独立運動に対して旧副王領全体の独立運動の主導権を握りかけたホセ・ヘルバシオ・アルティーガスが登場したが、アルティーガスが1820年にポルトガル軍に敗れた後は、この地域の自立的な独立運動は進まず、1820年代のシスプラティーナ戦争の帰結として、イギリスの調停によって1828年にウルグアイ東方共和国として独立を達成した。独立後も長らく大戦争(1839年 - 1851年)のように、国内の親アルゼンチン派のブランコ党と親ブラジル派のコロラド党の内乱が続き、また、幾度となく続いたウルグアイの内乱はパラグアイの三国同盟戦争(1864年 - 1870年)の一因ともなった。このように不安定だったウルグアイが安定した統治を確立するのは20世紀初頭のホセ・バッジェ・イ・オルドーニェス大統領の大改革の後であり、以後20世紀前半のウルグアイは「南アメリカのスイス」とも評される稀有な民主主義国家となった。しかしながら、1955年よりそれまでの一次産品輸出志向型経済が行き詰まりを迎え、1960年代には深刻化する経済危機を背景に都市ゲリラ、トゥパマロスが活動するようになり、1973年にトゥパマロス鎮圧を果たした軍部によってクーデターが実施され、長らく民主主義の伝統を保っていたウルグアイの民主体制は崩壊した。クーデター後、軍事政権はネオリベラリズム政策と強権統治に訴えたが、このような統治を望まなかったウルグアイ人およそ50万人が国を捨てて出国し、更に軍政を合法化しようとした1981年の国民投票が否決されたこともあって、1985年に民政移管した。民政移管後暫くは19世紀以来のコロラド党とブランコ党の二大政党制が継続したものの、2005年の大統領選挙では中道左派政党拡大戦線のタバレ・バスケスが当選し、ウルグアイの二大政党制に終止符を打った。
先コロンブス期 (先史時代-16世紀)
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ヨーロッパ人到来以前の現在のウルグアイに相当する領域には、アンデス山脈に位置したインカ帝国(タワンティンスーユ)の権威は及ばず狩猟、採集によって生計を立てるチャルーア人や、原始的な農耕を行うグアラニー人といった部族が居住しており、彼等が描いた壁画が現在もチャマンガに残っている。
註釈
出典
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