だいじょうきしんろん【大乗起信論】
大乗起信論
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『大乗起信論』(だいじょうきしんろん)[注釈 1]は、大乗仏教に属する論書。二本の漢語本が現存し、著者が馬鳴(アシュヴァゴーシャ)に仮託されているが、中国で真諦周辺の人物によって編まれたとされる[2][3][4]。
注釈
出典
- ^ Hubbard, Jamie (1994, 2008). Original Purity and the Arising of Delusion. Smith College, p.1. Internet Archive
- ^ 望月信亨「大乗起信論の作者に就いて」(1902年、→『大乗起信論之研究』金尾文淵堂、1922年)
- ^ 松本史朗『禅思想の批判的研究』大蔵出版、1993年)
- ^ 大竹晋『大乗起信論成立問題の研究 - 『大乗起信論』は漢文仏教文献からのパッチワーク -』(国書刊行会、2017年)
- ^ a b 宇井伯寿『大乗起信論』岩波文庫、1936年。
- ^ 井筒俊彦『意識の形而上学』中公文庫、2001年、P.11頁。
- ^ 大竹晋『大乗起信論成立問題の研究 - 『大乗起信論』は漢文仏教文献からのパッチワーク -』(国書刊行会、2017年)
- ^ 宇井伯寿・高崎直道『大乗起信論』岩波文庫、1994年。
- ^ 高崎直道『『大乗起信論』の語法―「依」「以」「故」等の用法をめぐって―』(『早稲田大学大学院文学研究科紀要』37輯、哲学・史学編、1992年2月)p41-p43
- ^ 石井公成『『大乗起信論』における「大乗」と「摩訶衍」』駒澤短期大學仏教論集 (12), 2006-10, p293-p289
- 1 大乗起信論とは
- 2 大乗起信論の概要
- 3 脚注
大乗起信論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 09:29 UTC 版)
中国撰述とされる論書、『大乗起信論 』では、阿頼耶識(あらやしき)に不覚と覚の二義があるとし、覚をさらに始覚(しかく)と本覚(ほんがく)とに分けて説明する。我々の心性(しんしょう)は、現実には無明(むみょう)に覆われ、妄念にとらわれているから不覚であるが、この無明が止滅して妄念を離れた状態が「覚」であるという。無明は無始以来のものであるから、それに依拠する不覚に対しては「始覚」といわれるが、われわれの心性の根源は本来清浄な覚りそのもの(「本覚」)であって、それがたまたま無明に覆われているから、始覚といってもそれは本覚と別のものではなく、始覚によって本覚に帰一するに過ぎない、と説明し、誰にでも覚りに至る道は開けており、それに向かっての修行が必要なことを説いている。さらに、覚りは清浄なものであることも説明されている。
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