北国人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/13 15:45 UTC 版)
17. ナルマキル1世 (Narmacil I) 1294年 18. カルマキル (Calmacil) 1304年 19. ローメンダキル2世ミナルカール (Rómendacil II Minalcar) 1366年 20. ヴァラカール (Valacar) 1432年 ゴンドールの王は、ロヴァニオン地方の北国人に対して好意的に接してきた。かれらがエダインの子孫でドゥーネダインとは遠縁にあたるためと、東夷への防衛の一助を担ってくれているためである。しかし中には東夷と手を組む北国人もおり、ナルマキル1世の治世に東からの攻撃が再開するようになった。 安楽な暮らしを好む伯父ナルマキルや父カルマキルに代わり、1240年から摂政として統治に携わっていたミナルカールは、活発な人物だった。かれは1248年に大軍を率いてリューンの湖東部を制圧し、王位につくとローメンダキル2世を称した。かれはアンドゥインの防衛を強化し、他国人がエミン・ムイル山地より先の大河を下ることを禁じた。『指輪物語』で指輪の仲間が見たアルゴナスの柱を建てたのはかれである。しかしローメンダキル2世は、北国人のことは重用し、自称ロヴァニオンの王ヴィドゥガヴィアを特に引き立てた。 1250年、ローメンダキル2世の息子ヴァラカールは、大使として北国人のもとに派遣された。ところが単なる友好使節の域を越え、かれはヴィドゥガヴィアの娘ヴィドゥマヴィと結婚してしまった。王族がドゥーネダイン以外のものと婚姻を結ぶなどゴンドールの風習では考えられないことだったので、このことは貴族たちの大きな反発を呼び、ヴァラカール王の治世の後半には南部で反乱が勃発した。
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