thattaとは? わかりやすく解説

タッター【Thatta】

読み方:たったー

パキスタン南東部シンド州古都カラチ北東約110キロメートルインダス川のデルタ地帯位置するインダス川流路が変わるまで水運拠点として栄えムガル帝国5代皇帝シャー=ジャハーンによるシャージャハーンモスクをはじめ、14世紀から16世紀にかけて、90ものイスラム寺院建造された。また、近郊マクリの丘には数十から百万におよぶ墓が残っている。1981年に「タッターの文化財」の名称で世界遺産文化遺産)に登録された。


thatta

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/08 05:58 UTC 版)

thatta
出身地 日本
東京
ジャンル ロック
マッドチェスター
サイケデリック・ロック
活動期間 2006年 -
レーベル Helter Skelter Records
公式サイト http://thatta.net/
メンバー Datch(ボーカル
Chicashu(ベース
Kent Kent(ギター
Piggy(ギター
Syunya Nakaso(パーカッション
Kosei Terunuma(ドラムス

thatta(ザッタ)は、2006年に結成された日本ロックバンド[1]

概要

2006年に結成し、数回のメンバーチェンジや加入を経て2014年より現在の7人編成となる[2]

マッドチェスターを軸に世界中のインディーロックからの影響を受けた音楽性で、東京を中心に活動中。

ニュージーランドのノイズパンクバンドの雄、DIE!DIE!DIE!や、ノルウェーのエレクトロポップバンドCasiokids、オーストラリアのLast Dinosaurs等の来日公演をサポートし、2012年にはニュージーランドツアーを行うなど世界を意識し活動している。

メンバー

旧メンバー

来歴

ディスコグラフィー

配信限定シングル

配信日 曲名 備考

tweet haney (acoustic session)

tweet haney (acoustic session)

・Come into me

・Dictator

・Tear Eater

2015.11.14  ・Come into me

・Dictator

・Tear Eater

アルバム

発売日 タイトル 企画品番 収録曲 備考
1st 2011/4/30 Viva la Majority EXBB-007 1. Sun Francisco

2. Penetration

3. Honesty Is So Cruel

4. Tower Of Seller

5. Hope

6. Be a Patriot

2nd 2013/6/5 Boys Be Commercial  HELR-5 1.overture

2.March of the blind

3.Popsong

4.Tweet honey

5.55

6.Sleepy election

7.Theme of love(Kome from NILE LONG remix)

8.Tweet honey (Dai-Fi from MontBlanc remix)

9.Highest

脚注

  1. ^ http://thatta.net/
  2. ^ http://thatta.net/profile/

外部リンク


タッター

(thatta から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/29 04:50 UTC 版)

タッター
位置
タッター
タッター (パキスタン)
タッター
タッター (南アジア)
座標 : 北緯24度44分46秒 東経67度55分28秒 / 北緯24.74611度 東経67.92444度 / 24.74611; 67.92444
行政
パキスタン
  シンド州
 市 タッター
その他
等時帯 パキスタン標準時 (UTC+5)
タッター=マクリの歴史的建造物群
パキスタン
マクリーの丘
英名 Historical Monuments at Makli, Thatta
仏名 Monuments historiques à Makli, Thatta
登録区分 文化遺産
登録基準 (3)
登録年 1981年
公式サイト 世界遺産センター(英語)
使用方法表示

タッターウルドゥー語: ٹھٹہ‎, シンド語:ٺٽو )は、パキスタンシンド州にある人口22,000人の歴史的な都市である。

概要

アレキサンダー大王がインド・パキスタン遠征をした時、紀元前326年に通過した。「タッターの歴史的建造物群」として、1981年に、世界遺産に登録された。

14世紀以来、タッターは、低シンド地域の首府として機能し、1592年には、ムガル帝国の支配下に入った。1739年に、ナーディル・シャーイランよりインドへ侵攻するとタッターは陥落すると同時に放棄されるにいたった。

ジャーマー・モスクを含むタッターの文化財は、1647年から1649年にかけて、シャー・ジャハーンの手によって建設され、釉薬が掛かったタイルを特色とする。また、1461年から1509年にかけてタッターを統治したジャーム・ニザームッディーンやムガル帝国の役人の墓もタッターにはあり、加えて、数千の墓を持つ広大な共同墓地がマクリーの丘(en:Makli Hill)の近くに見つかっている。

タッターの中心地には、シャー・ジャハーンが建設したバードシャーヒー・モスクがある。このモスクは101のドームによって構成され、拡声器などの道具なしでもこのモスクの随所でイマームの声が届くように設計されている。

また、タッター近辺にはキーンジャルと呼ばれる美しい湖があり、カラチから多くの人々が週末にはこの湖を訪れる。

世界遺産登録基準

この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。

脚注

関連項目


座標: 北緯24度44分46.02秒 東経67度55分27.61秒 / 北緯24.7461167度 東経67.9243361度 / 24.7461167; 67.9243361



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