タッター【Thatta】
thatta
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/08 05:58 UTC 版)
thatta | |
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出身地 | ![]() 東京 |
ジャンル | ロック マッドチェスター サイケデリック・ロック |
活動期間 | 2006年 - |
レーベル | Helter Skelter Records |
公式サイト | http://thatta.net/ |
メンバー | Datch(ボーカル) Chicashu(ベース) Kent Kent(ギター) Piggy(ギター) Syunya Nakaso(パーカッション) Kosei Terunuma(ドラムス) |
![]() |
thatta(ザッタ)は、2006年に結成された日本のロックバンド[1]。
概要
2006年に結成し、数回のメンバーチェンジや加入を経て2014年より現在の7人編成となる[2]。
マッドチェスターを軸に世界中のインディーロックからの影響を受けた音楽性で、東京を中心に活動中。
ニュージーランドのノイズパンクバンドの雄、DIE!DIE!DIE!や、ノルウェーのエレクトロポップバンドCasiokids、オーストラリアのLast Dinosaurs等の来日公演をサポートし、2012年にはニュージーランドツアーを行うなど世界を意識し活動している。
メンバー
- Datch(ダッチ) - ボーカル、シンセサイザー
- Chicashu - ベース、コーラス
- Syunya Nakaso - パーカッション
- Kent Kent - ギター
- Piggy - ギター
- Kosei Terunuma - ドラム
- Ryosuke Irie - ギター、シンセサイザー、コーラス
旧メンバー
- モリシマヒロシ - ギター、シンセサイザー担当。現Awesome city clubのメンバー。
- タナカトシツグ - ギター、シンセサイザー担当。
- Peter Ruddell - サックス、シンセサイザー、コーラス担当。
来歴
ディスコグラフィー
配信限定シングル
配信日 | 曲名 | 備考 | |
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tweet haney (acoustic session) |
tweet haney (acoustic session) |
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・Come into me ・Dictator ・Tear Eater |
2015.11.14 | ・Come into me ・Dictator ・Tear Eater |
アルバム
発売日 | タイトル | 企画品番 | 収録曲 | 備考 | |
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1st | 2011/4/30 | Viva la Majority | EXBB-007 | 1. Sun Francisco 2. Penetration 3. Honesty Is So Cruel 4. Tower Of Seller 5. Hope 6. Be a Patriot |
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2nd | 2013/6/5 | Boys Be Commercial | HELR-5 | 1.overture 2.March of the blind 3.Popsong 4.Tweet honey 5.55 6.Sleepy election 7.Theme of love(Kome from NILE LONG remix) 8.Tweet honey (Dai-Fi from MontBlanc remix) 9.Highest |
脚注
外部リンク
タッター
(thatta から転送)
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タッター |
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位置 | |
座標 : 北緯24度44分46秒 東経67度55分28秒 / 北緯24.74611度 東経67.92444度 | |
行政 | |
国 | ![]() |
州 | シンド州 |
市 | タッター |
その他 | |
等時帯 | パキスタン標準時 (UTC+5) |
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![]()
マクリーの丘
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英名 | Historical Monuments at Makli, Thatta | ||
仏名 | Monuments historiques à Makli, Thatta | ||
登録区分 | 文化遺産 | ||
登録基準 | (3) | ||
登録年 | 1981年 | ||
公式サイト | 世界遺産センター(英語) | ||
使用方法・表示 |
タッター(ウルドゥー語: ٹھٹہ, シンド語:ٺٽو )は、パキスタン・シンド州にある人口22,000人の歴史的な都市である。
概要
アレキサンダー大王がインド・パキスタン遠征をした時、紀元前326年に通過した。「タッターの歴史的建造物群」として、1981年に、世界遺産に登録された。
14世紀以来、タッターは、低シンド地域の首府として機能し、1592年には、ムガル帝国の支配下に入った。1739年に、ナーディル・シャーがイランよりインドへ侵攻するとタッターは陥落すると同時に放棄されるにいたった。
ジャーマー・モスクを含むタッターの文化財は、1647年から1649年にかけて、シャー・ジャハーンの手によって建設され、釉薬が掛かったタイルを特色とする。また、1461年から1509年にかけてタッターを統治したジャーム・ニザームッディーンやムガル帝国の役人の墓もタッターにはあり、加えて、数千の墓を持つ広大な共同墓地がマクリーの丘(en:Makli Hill)の近くに見つかっている。
タッターの中心地には、シャー・ジャハーンが建設したバードシャーヒー・モスクがある。このモスクは101のドームによって構成され、拡声器などの道具なしでもこのモスクの随所でイマームの声が届くように設計されている。
また、タッター近辺にはキーンジャルと呼ばれる美しい湖があり、カラチから多くの人々が週末にはこの湖を訪れる。
世界遺産登録基準
この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
- (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
脚注
関連項目
座標: 北緯24度44分46.02秒 東経67度55分27.61秒 / 北緯24.7461167度 東経67.9243361度
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