V運動
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グリッロはこれまで、国内外のいくつかの政治運動を率いてきた。2007年9月8日には、イタリアで「Vの日の祝祭」を組織した。このVは、イタリア語でくそったれを意味する vaffanculo の頭文字である。このイベントでグリッロは、汚職や課税逃れ、殺人教唆などの罪で有罪判決を受けた24人のイタリアの政治家の名前を挙げた。このイベントには200万人以上のイタリア人が参加した。グリッロはまた、このイベントの参加者に、法案の住民発議制度の導入を求める請願書に署名するよう求めた。これは、有罪判決を受けたイタリアの国会議員の除名を図ったものであった。 第2回の「Vの日」は、2008年4月25日にトリノで行われた。そこでは、政府から財政支援を受けているイタリアの報道機関がやり玉に挙げられた。グリッロはイタリアの報道の自由の欠如だけでなく、火葬に対する支持を表明したウンベルト・ヴェロネージ元厚生相、イタリア国内の北大西洋条約機構 (NATO) 基地、シルヴィオ・ベルルスコーニをはじめとする政治家、Europa 7に割り振られた周波数をいまだ引き渡さない Rete 4 というテレビ局などを厳しく批判した。 2008年8月にはオーストラリア放送協会の国際情勢番組 Foreign Correspondent で、グリッロが取り上げられた。「道化師の貴公子」 (The Clown Prince) と題されたリポートでは、グリッロの暮らしぶりや政治活動、Vの日運動、インターネットを政治活動のツールとして利用していることなどが紹介された。
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