ティレル・018
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ジョニー・ハーバートがドライブする018 (1989年ベルギーGP) |
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カテゴリー | F1 | ||||||||||
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コンストラクター | ティレル | ||||||||||
デザイナー | ハーベイ・ポスルスウェイト ジャン=クロード・ミジョー |
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先代 | ティレル・017B | ||||||||||
後継 | ティレル・019 | ||||||||||
主要諸元[1] | |||||||||||
シャシー | アルミニウム カーボンファイバー モノコック | ||||||||||
サスペンション(前) | ダブルウィッシュボーン,プッシュロッド | ||||||||||
サスペンション(後) | ダブルウィッシュボーン | ||||||||||
エンジン | フォード DFR, 3,493 cc (213.2 cu in), 90度 V8, NA, ミッドエンジン, 縦置き | ||||||||||
トランスミッション | ティレル製 6速 MT | ||||||||||
燃料 | エルフ | ||||||||||
タイヤ | グッドイヤー(1989年) ピレリ(1990年) |
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主要成績 | |||||||||||
チーム | ティレル・レーシング・オーガニゼーション | ||||||||||
ドライバー | 3. ![]() 4. ![]() 4. ![]() 4. ![]() 3. ![]() |
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コンストラクターズタイトル | 0 | ||||||||||
ドライバーズタイトル | 0 | ||||||||||
初戦 | 1989年サンマリノグランプリ | ||||||||||
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ティレル・018 (Tyrrell 018) は、ハーベイ・ポスルスウェイトを責任者として設計されたF1マシンで、1989年シーズンから1990年シーズンにかけてティレルチームが使用した。
概要
1988年シーズンに使用した017の後継モデルとして、前作からの共通部品のない完全な新型として設計された[2]。前年にフェラーリから移籍していたポスルスウェイトと、新たに移籍してきた空力専門家のミジョーによりこの5年苦戦してきたティレルにとって久々となる戦闘力を持つマシンとなった。
018にはフロントサスペンションにモノショックが採用され、ショックアブソーバーとスプリングを左右間で共有した。ショックアブソーバーとスプリングはコクピットの前方の、モノコック中央上面に沿うように配置され、ショックアブソーバーはリンクを用いて左右のプッシュロッドと接続された。モノショックのフロントサスペンションは、1990年以後、ジョーダン、レイトンハウス(マーチ)など複数のチームがコピーして採用した。マクラーレンやフェラーリなどのトップチームも翌年以後に左右のショックアブソーバーを接続してモノショックと同様の効果を持たせたフロントサスペンションを導入するなど、この設計思想はF1界に影響を与えた[3]。 設計責任者のポスルスウェイトが「息子に修理を頼まれた田宮のラジコンカーのサスペンションを見ていて、このモノショックを思い付いた」と田宮模型社長の田宮俊作に話をしたことがあると田宮が自著に記している。 018ではミジョーの空力思想により、フロントウイングとノーズ底面が若干持ち上げられていた。翌年の019では更に大きくノーズが持ち上げられ、アンヘドラルウイングが導入されることになる。
エンジンはフォード・コスワース・DFRを使用した。
第2戦サンマリノGPでミケーレ・アルボレート用の1台が初めて実戦投入。シェイクダウン直後であることが影響しアンダーステアがひどく、アルボレートが予選通過に失敗。旧型・017で予選を走ったジョナサン・パーマーのみが予選通過となったため、決勝レースではパーマーが018を使用した[4]。続くモナコGPで2台目のマシンが持ち込まれ、両ドライバーが揃って018を使用するようになった。第7戦のフランスGPからは大口スポンサーとしてキャメル(R.J.レイノルズ社)がついたが、アルボレートは競合タバコ企業であるマールボロのスポンサードを受けていたためにチームを離脱、後任にはキャメルが国際F3000選手権でスポンサードするエディ・ジョーダン・レーシングから、選手権首位のジャン・アレジが起用された。新人のアレジはフランスGPとスペインGPで4位に入賞し、イタリアGPでも5位でポイントを獲得するなどパーマーを上回る好成績を挙げた。なお、アレジはF3000にも並行して継続参戦し、F1よりもF3000を優先したため、ベルギーGPとポルトガルGPはスケジュールの競合により欠場。アレジの代役としてジョニー・ハーバートが018をドライブした[5]。018によりティレルはコンストラクターズ・ランキング5位でシーズンを終了し、チームの1980年代最高順位を記録した。
1990年シーズンは、第2戦ブラジルGPまで018が出走し、ロータスから移籍した中嶋悟とチームに残留したアレジがドライブした。第3戦サンマリノGPには後継モデルの019が3台持ち込まれたが、このレースのスタート直後に中嶋がクラッシュして019の1台が大破したため、次戦モナコGPには018がスペアカーとして持ち込まれた。
1989年シーズンはグッドイヤータイヤを使用したが、1990年シーズンは開幕直前になってピレリタイヤに変更した。
シャーシ履歴
018は5台が製造された[6]。
F1における全成績
ティレル・018は1989年シーズン、メキシコGPで3位(アルボレート)を最上位に、カナダGPではパーマーがウェットレースの中ファステスト・ラップを記録[7]。1989年のコンストラクターズランキングで5位を獲得した。カスタマーエンジンを使用するチームの中では最上位だった。
1990年シーズンは、開幕戦のアメリカGPでアレジがスタート直後からトップを走り、アイルトン・セナと首位争いを繰り広げる好走を見せ、018のベストリザルトとなる2位に入賞した。このレースではもう1台の018に乗る中嶋悟も6位に入賞した。
年 | チーム | エンジン | タイヤ | No. | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | ポイント | 順位 |
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1989年 | ティレル・レーシング | フォード DFR V8 |
G | BRA![]() |
SMR![]() |
MON![]() |
MEX![]() |
USA![]() |
CAN![]() |
FRA![]() |
GBR![]() |
GER![]() |
HUN![]() |
BEL![]() |
ITA![]() |
POR![]() |
ESP![]() |
JPN![]() |
AUS![]() |
16 | 5位 | ||
3 | ![]() |
6 | 9 | Ret | 9 | Ret | 10 | Ret | Ret | 13 | 14 | Ret | 6 | 10 | Ret | DNQ | |||||||
4 | ![]() |
DNQ | 5 | 3 | Ret | Ret | |||||||||||||||||
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4 | Ret | 10 | 9 | 5 | 4 | Ret | Ret | |||||||||||||||
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Ret | DNQ | |||||||||||||||||||||
1990年 | ティレル・レーシング | フォード DFR V8 |
P | USA![]() |
BRA![]() |
SMR![]() |
MON![]() |
CAN![]() |
MEX![]() |
FRA![]() |
GBR![]() |
GER![]() |
HUN![]() |
BEL![]() |
ITA![]() |
POR![]() |
ESP![]() |
JPN![]() |
AUS![]() |
16* | 5位 | ||
3 | ![]() |
6 | 8 | ||||||||||||||||||||
4 | ![]() |
2 | 7 |
* 1990年の16ポイントのうち9ポイントはティレル・019による。
無限エンジンテストカー
実戦を終えた018を日本の無限が1台購入し、F1レギュレーションに沿った仕様の無限3500ccV8エンジンを搭載し、テスト車両として使用された。日本でのテスト走行は無限のプライベートテストだったが、F1参戦以前のブリヂストンがタイヤ供給で協力し[8]、当時全日本F3000選手権に参戦していたフォルカー・ヴァイドラーがテストドライバーとして018を運転した[9]。
脚注
- ^ “STATS F1 - Tyrrell 018”. Statsf1.com. 2010年8月23日閲覧。
- ^ New Detail by G.Piola TYRRELL 018 F1GPX '89サンマリノGP号 26頁 1989年5月12日発行
- ^ THE IMPROVEMENT 前半戦の開発競争を振り返る グランプリ・エクスプレス 1991年ハンガリーGP号 19頁 1991年9月4日発行
- ^ LIVE REPORT 予選 F1GPX '89サンマリノGP号 27頁 1989年5月12日発行
- ^ ハーバートの一時復帰でまる儲けのベネトン GPX 1989ベルギーGP 28頁 山海堂 1989年9月16日発行
- ^ アラン・ヘンリー 編『AUTOCOURSE F1グランプリ年鑑 1989-90』バベル・インターナショナル・訳、CBSソニー出版、1990年、p.44頁。ISBN 4-7897-0502-1。
- ^ Molson Grand Prix of Canada - FASTEST LAPS Formula1.com 18 Jun 1989
- ^ F1参戦を現実的な視野に入れたタイヤ開発に着手 ブリヂストンモータースポーツ
- ^ 無限3.5Lエンジン鈴鹿で実走テスト ドライバーはV.バイドラー グランプリ・エクスプレス 1991イタリアGP号 38頁 山海堂 1991年9月28日発行
「Tyrrell 018」の例文・使い方・用例・文例
- その車は2018年以降に製品化される。
- 「ターミネーター4」は,スカイネットが人類への核攻撃を開始した「審判の日」から14年後の2018年を舞台にしている。
- 次のパラリンピックは韓国のピョンチャン(平昌)で2018年に開催される予定だ。
- アギーレ氏が日本代表を2018年のW杯ロシア大会へと導くことが期待されている。
- 彼は,第一の目標は2018年に開催されるW杯本大会への出場資格を得ることだと述べた。
- これは中国で開催される初の冬季五輪で,アジアでは,1972年の札幌,1998年の長野,2018年の韓国・ピョンチャン(平昌)に次いで4度目となる。
- 3月29日,2018年W杯ロシア大会のアジア2次予選の最終戦で,日本がシリアを5-0で下した。
- 次に火星が地球に最接近するのは,2018年7月31日だ。
- 今年1月,ボブスレーのジャマイカ代表チームが,2018年に韓国のピョンチャンで開催される次の冬季五輪に向けて,同プロジェクトが製作するボブスレーの採用を決定した。
- 残念ながら,私たちのそりは2014年,2018年の冬季五輪ではボブスレーの日本代表チームに採用してもらえませんでした。
- 同大会は,ピョンチャン(平昌)で開催される2018年の冬季五輪で使われるアイススケート場で行われた。
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