名伯楽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/30 06:02 UTC 版)
鈴木の名前で有名なのは何と言っても、福島正幸(22期)の師匠であったという事実である。鈴木は福島に対して練習面のみならず、生活面までも厳しく管理。とりわけ、「どうやれば勝てるのか?」「なぜ負けたのか?」といった理論付けを福島に対して徹底的に叩き込んだ。ひいては後に、福島が「コンピューター」というニックネームを授かるようになるわけだが、その背景には、鈴木の厳しい理論指導があったのは言うまでもない。 さらに鈴木は、福島のバイオリズムに変調の兆しが見られると、ヒゲをたくわえさせたり、はたまた福島が中学時代に柔道をやっていたことに着目して、自転車の練習は一切させずに、柔道の稽古だけをさせたこともあった。また、そうすることによって不思議と福島はスランプ状態から立ち直った。 1982年の競輪祭を最後に福島が引退したいと鈴木に申し出たとき、鈴木はそのことを身内にさえ漏らすな、と福島に指示した。なぜそうしたことをさせたかというと、福島の引退が途中で漏れるようなことがあると、ファンに多大な迷惑をかけることになりかねない、ということからだった。したがって福島が鈴木とともに大会4日目のレース終了後に記者会見を行うということに関して、マスメディアもなぜそのようなことをするのかが当初分からなかったという。 鈴木は俗称、「鈴木道場」と呼ばれる練習グループを主宰しており、福島以外にも木村実成(15期)の他、多くの弟子を抱えていたが、福島がトップクラスの選手に上り詰める頃には、ほとんど福島に対するマンツーマン指導を施すようになった。また、鈴木の指導方法については、弟子以外の群馬県の選手にも大きな影響を与えた。ひいては1970年代に群馬王国が確立されていくことにも繋がった。
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