TBSのアナウンサー職 (1967年 - 1979年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 12:33 UTC 版)
「久米宏」の記事における「TBSのアナウンサー職 (1967年 - 1979年)」の解説
1967年4月、TBS(現:TBSHD。以下同)にアナウンサー12期生として入社。入社直後、激務と極度のあがり症から体調を崩し、結核を患った。1967年11月15日、アナウンサー研修室設置に伴いアナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部勤務となる。 1970年4月、『パックインミュージック』金曜パーソナリティに抜擢されるが、病気により、5週で降板。1970年5月、この月からスタートした『永六輔の土曜ワイドラジオTokyo』の中継リポーターを務める。 1975年10月、『料理天国』レギュラー( - 1980年)、『ぴったし カン・カン』の司会として全国的な人気を得ることとなり、久米宏としての名前が一般に知られるようになる。( - 1984年5月)。 1978年1月、『ザ・ベストテン』司会( - 1985年4月)。同年4月、『土曜ワイドラジオTOKYO』パーソナリティ( - 1985年3月)。 1979年6月 - TBSを退社。
※この「TBSのアナウンサー職 (1967年 - 1979年)」の解説は、「久米宏」の解説の一部です。
「TBSのアナウンサー職 (1967年 - 1979年)」を含む「久米宏」の記事については、「久米宏」の概要を参照ください。
- TBSのアナウンサー職のページへのリンク