SL67船団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/21 15:06 UTC 版)
3月7日にSL67船団が発見された。だが、船団には戦艦マレーヤが護衛として付いていた。そのため、HX106船団の時と同様に攻撃は断念された。その代わり、リュッチェンスは船団の情報を報告、Uボートがマレーヤを撃破することを期待した。夜に入りUボートが船団を攻撃し5隻を撃沈した。 3月8日にリュッチェンスは再度船団へ接近を試みたが、マレーヤと遭遇したため攻撃を最終的に断念し、HX船団を目標にして北西に向かった。 3月9日に単独で航行していたギリシャ船マラトン (Marathon) を撃沈。 3月11日、独艦隊は補給艦エルムラントとウッカーマルクと補給のため合流。同日、リュッチェンスは西部方面海軍司令長官アルフレート・ザールヴェヒター上級大将から、HX船団に対する作戦は3月21日までとし、その後は南へ移動するよう命令を受けた。理由はアドミラル・シェーアとアドミラル・ヒッパーがドイツへ本土へ帰還するにあたり、擁護のため陽動作戦を行うためであった。通商破壊戦の期限はすぐに3月17日までに短縮された。
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