NAACP時代
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「W・E・B・デュボイス」の記事における「NAACP時代」の解説
1909年5月、デュボイスはニューヨークで全米黒人会議(英語版)に参加した。この会議は全米黒人委員会(英語版)の創設に繋がった。これは公民権、平等な投票権と平等な教育機会を求める運動を行う委員会であり、委員長はオズワルド・ヴィラードが務めた。この後、1910年の春に第2回の全米黒人会議の場において参加者たちは全米黒人地位向上協会(National Association for the Advancement of Colored People、NAACP)を創設した。デュボイスの提案では「カラード(colored)」という用語は「黒人(black)」ではなく「全ての血における暗い色の肌を持った人々」を含んだ意味で使用されていた。黒人と白人合わせて数十人の公民権運動支持者がこの創設に参加したが、メアリー・オヴィントン(英語版)、チャールズ・エドワード・ラッセル(英語版)、ウィリアム・イングリッシュ・ウォリング(英語版)、そして初代議長(president)ムアフィールド・ストーリー(英語版)ら、執行役員(executive officers)の大半が白人であった。
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