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ミマ・ヤウソベッツ

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/20 01:41 UTC 版)

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ミマ・ヤウソベッツ
Mima Jaušovec
基本情報
国籍 ユーゴスラビア
(現 スロベニア
出身地 同・マリボール
生年月日 (1956-07-20) 1956年7月20日(64歳)
身長 160cm
体重 50kg
利き手
ツアー経歴
デビュー年 1973年
引退年 1988年
ツアー通算 11勝
シングルス 5勝
ダブルス 6勝
生涯通算成績 ?
シングルス ?
ダブルス ?
生涯獲得賞金 933,926 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト4(1980)
全仏 優勝(1977)
全英 ベスト8(1978・81)
全米 ベスト4(1976)
優勝回数 1(仏1)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 2回戦(1980)
全仏 優勝(1978)
全英 準優勝(1978)
全米 ベスト4(1976・83)
優勝回数 1(仏1)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 6位
ダブルス ?位

ミマ・ヤウソベッツMima Jaušovec, 1956年7月20日 - )は、ユーゴスラビア(現スロベニア)・マリボール出身の元女子プロテニス選手。主に全仏オープンで活躍し、1977年の女子シングルスで優勝した。同大会では1978年1983年の2度準優勝もある。WTAツアーでシングルス5勝、ダブルス6勝を挙げた。身長160cm、体重50kg、右利き。

来歴

ヤウソベッツは17歳の時、1973年から女子テニス国別対抗戦・フェデレーションカップユーゴスラビア代表選手になった。1974年全仏オープン4大大会にデビューした時、本戦1回戦の相手は日本沢松和子選手であった。ヤウソベッツは沢松を 7-6, 6-3 で破ったが、続く2回戦で敗退する。ウィンブルドンでは女子ジュニア部門と本大会の両方に出場し、ジュニア部門で優勝を飾った。本戦でも1回戦で同じ年のマルチナ・ナブラチロワを 6-4, 3-6, 6-3 で破り、第4シードのロージー・カザルスアメリカ)との3回戦まで進出している。当時のヤウソベッツはアマチュア選手として、ジュニア部門と本大会の両方に掛け持ちで出場していた。1975年にプロ選手となる。1975年ウィンブルドンベスト16(4回戦でオルガ・モロゾワに敗退)、1976年全米オープンベスト4(準決勝でクリス・エバートに敗退)を経て、ヤウソベッツは世界のトップレベルに躍進してゆく。

1977年全仏オープン女子シングルス決勝で、ミマ・ヤウソベッツはフロレンツァ・ミハイルーマニア)を 6-2, 6-7, 6-1 で破り、ユーゴスラビア出身のテニス選手として最初の4大大会優勝者に輝いた。しかし1978年の同大会では、決勝戦でルーマニア女子の第一人者バージニア・ルジッチに 2-6, 2-6 で敗れ、全仏オープンの大会2連覇を逃した。この年はウィンブルドンで自己最高のベスト8に勝ち上がり、大会前年優勝者だったイギリスバージニア・ウェードに敗れている。なお、全仏オープンの女子シングルス本戦は1980年まで出場資格者が「64名」であり、決勝までに6試合を勝ち進む流れになっていたが、1981年から出場枠が現在のような「128名」になり、7試合を勝ち進む方式に拡大された。ウィンブルドン選手権は1974年、全米オープンは1976年から現在のような128名のトーナメント方式で行われている。ヤウソベッツの現役選手時代は、4大大会のトーナメント・システムにも大きな変更が加えられた過渡期でもあった。

その過渡期を経て、ヤウソベッツは1983年全仏オープンで5年ぶり3度目の決勝進出を果たす。この度は前2回とは異なり、128名によるトーナメントで7試合を勝ち抜いた。しかし決勝戦でクリス・エバート・ロイドに 1-6, 2-6 で完敗し、同大会で2度目の準優勝に終わった。1987年全仏オープン1回戦で、31歳に近づいたヤウソベッツはハナ・マンドリコワに 0-6, 0-6 で完敗し、1ゲームも取れなかった。1988年全豪オープン1回戦でもマンドリコワに 4-6, 1-6 で敗れている。これがヤウソベッツの最後の4大大会出場となり、1988年に32歳で現役を引退した。

ヤウソベッツの引退後、1989年からユーゴスラビア出身のモニカ・セレシュが世界的な活躍を始めた。セレシュはユーゴスラビア出身のテニス選手として「ヤウソベッツ以来2人目の」女子チャンピオンである。

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