K運転手の自殺について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 21:19 UTC 版)
「榎本三恵子」の記事における「K運転手の自殺について」の解説
田中角栄の私設秘書兼運転手だったKは1976年8月2日午前10時頃、埼玉県山中で死体となって発見された。車の中にビニールホースで排気ガスを引き込んでおり、自殺と認定された。当時、東京地検は丸紅のI専務から田中側に渡された資金の一部をKが運んだという疑いで事情聴取中であった。Kと榎本家は家族ぐるみの付き合いがあった。これについて三恵子は「Kさんは殺されたんだと思います。自殺なんてしてません。検察の事情聴取を受けたからといって死んでお詫びする筋合いのものじゃない。一介の運転手にすぎないのですから」と断言している。その根拠として、妻の話によると、Kはいつも自宅に帰る前に電話をかけてくる習慣があったが、死んだ当日も「これから帰る」という電話があったといい、これから自殺する人が果たしてそのような電話をかけるだろうかということ、死亡推定時刻が電話のあった直後とされ、遺体が発見されたのが埼玉県の山奥で携帯電話のまだなかった時代、電話をしてから自殺するまでの時間が少なすぎるということを上げている。また、遺体の司法解剖には、父親の遺体を切り刻むのは嫌だと長男が猛反対しており、誰かが解剖を阻止するために、長男に解剖の残酷さを吹き込んだのではないかと推論している。
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