IWAと反戦主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:34 UTC 版)
「第一インターナショナル」の記事における「IWAと反戦主義」の解説
また、同大会は戦争反対の抗議をもっとも力を込めて記録にとどめた。 この時期、フランスを率いるナポレオン3世と北ドイツ連邦と南ドイツ諸邦との統合を試みていたオットー・フォン・ビスマルクとは、各々国家の引き締めを強化するために互いに戦争を望み、利己的で野心に満ちた両国の衝突は避けがたいものとなっていた。普仏戦争を目前に控えており、戦争に関してのIWAとしての立場を鮮明にしなければならなかった。同大会は参加団体のすべてに対して戦争を防ぐためにもっとも力強い行動に出るように呼びかけることになった。 彼らにとって戦争とは「諸民族間の戦争は内戦そのものと考えるほかないからである。なぜなら、戦争は生産に携わるもの同士の間で戦われるものであり、兄弟同士、市民同士の戦いにほかならないはずだからである。大会は、万一自分たちの国の間に戦争が起こった場合には、労働者は仕事を辞めるべきであると主張するものである。」 このように、ローゼンヌおよびブリュッセルの大会では領土的野心に基づく侵略戦争への反対が強く主張された。両大会では戦争が招く悲惨への憂慮から、戦争は労働者にとって百害あって一利もない不毛な行為であり、諸国家間の戦争は将来は内乱同様に見なされるべきであると宣言した。 「反戦」および「平和主義」も参照
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