ISの侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 00:08 UTC 版)
2014年7月、ISはコバニとその周辺のクルド人居住地域へ進撃を開始した。強力なISに対して、武器の乏しいYPGが対抗する。しかし、ISはまず街の西部の集落を占領し、9月までには周辺の300の集落と市街地の半分も掌握した。IS侵攻に伴い数万の避難民が街道沿いに自動車を乗り捨ててトルコ国境に押し寄せた。 9月16日、ついにISの軍勢がコバニ市街地に侵入し、コバニ包囲戦が始まる。それから19日までの3日間で、ISは過去約60カ所にある村落を新たに支配下に置いたと報道された。さらにISは19日だけで39の村落を制圧し、クルド人の武装組織が陣地から撤収したとした。トルコ政府はコバニなどから避難してくるクルド人住民の急増を受け、国境を開放した。 9月21日までに、ISはコバニ周辺の村を制圧した。この時点でトルコに越境したクルド人避難民の数は10万人を超えた可能性がある。 9月23日、IS侵攻を阻止するため、アメリカ軍がIS拠点の空爆を開始した。コバニとその周辺地域には、連日6回程度の空爆が行われた。コバニへの空爆は、戦略爆撃機であるB-1が投入され、連日大量の爆弾が投下された。 10月6日、IS兵士約2000人が侵入し東部と南部でYPGと衝突、YPGは「(コバニは)陥落しているか、陥落寸前だ」(エルドアン)と言われるほど危機的状況に追い詰められた。一方でPYDによると、ISへの空爆によって「2日前に比べて良くなっている」とも伝えられた。 10月10日、ISはYPG司令部を制圧しコバニの4割を掌握したと報道された。戦線はトルコとシリアの国境からわずか1300メートルにまで近づき、陥落が現実味を帯びた。なお、この時点で約1万2000人の住民が残っており、コバニ陥落によって彼らが虐殺されることが危惧された。 10月11日未明、ISはコバニ中心部に向けて攻勢をかけた。主にコバニ南部とYPGの旧司令部近くで約1時間半にわたる激しい戦闘が行われたが、YPGに進撃を阻止されて後退した。YPGは少人数のグループに分かれて、町を包囲しているISを戦線の各所で襲撃したという。この時点で、コバニはトルコ国境の狭い一か所を除き、ISに四方を包囲された。
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