F3000/F1
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 05:39 UTC 版)
1991年には国内トップカテゴリーである全日本F3000選手権にステップアップ。また同年秋にF1日本GPとオーストラリアGPにコローニからスポット参戦したが、エンジン、シャシーともに戦闘力が低かった上に、マシントラブルも発生したために予備予選不通過に終わる。 この日本GPでの予備予選中にマシントラブルでコースアウトしストップしたが、その際にステアリングを投げ捨て車体を蹴ったため、その場面を目撃した中嶋悟から「仕事道具をあんな扱いにする者は大成しない」、「何があっても車を蹴るのはよくない」と苦言を呈された。 2008年F1日本GPでのトークショーにおいて、「最初はコローニから『いくらいくら出せばウチで走らせてあげるよ』と持ちかけられたが、個人交渉をして交通費からギャランティまで出させた。日本人ドライバーで持参金無しでF1乗ったのは自分が初めてだと思う」という旨の発言をしている。 この1991年以降はF1に参戦する機会が訪れなかったが、1996年に童夢F1プロジェクトのテストドライブを担当し鈴鹿で童夢・F105を、同年の12月にはカーグラフィック誌の企画でフェラーリ・412T2をTIサーキット英田にてテストドライブしている。
※この「F3000/F1」の解説は、「服部尚貴」の解説の一部です。
「F3000/F1」を含む「服部尚貴」の記事については、「服部尚貴」の概要を参照ください。
- F3000/F1のページへのリンク