F3000とCART
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 13:14 UTC 版)
「ファン・パブロ・モントーヤ」の記事における「F3000とCART」の解説
1998年の国際F3000選手権でニック・ハイドフェルドとのチャンピオン争いを制しシリーズチャンピオンを獲得し、1999年のウィリアムズF1レギュラー昇格が噂されたが、CART王者となったアレックス・ザナルディがウィリアムズでF1復帰することになり、モントーヤのF1デビューはこの時は実現しなかった。しかし、ザナルディとシートを交換する形でCARTのトップチーム、チップ・ガナッシと契約しCARTシートを獲得。ヨーロッパから北米へ渡った。 1999年、モントーヤはルーキーながら難なくCARTスタイルに順応し、速さでセンセーションを巻き起こす。ダリオ・フランキッティと熾烈なタイトル争いを繰り広げ、最終戦終了時に同得点で並び、勝利数の差(モントーヤ7勝、フランキッティ3勝)でデビューシーズンのチャンピオンを獲得(デビュー年での獲得は1993年のナイジェル・マンセル以来)。CART史上最年少でのチャンピオンとなった。 翌年はチームの体制変更によりタイトル防衛は成らなかったが、トヨタエンジンのCART初勝利を含む3勝を挙げ、伝統のインディ500でも優勝。この活躍により、2001年のウィリアムズF1チームのレギュラーシート獲得が決定した。
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