F3000とツーリングカー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/03 06:16 UTC 版)
「アンソニー・レイド」の記事における「F3000とツーリングカー」の解説
翌1993年はF3からステップアップし、日本のトップフォーミュラである全日本F3000選手権と全日本F3選手権、全日本ツーリングカー選手権など複数の国内トップカテゴリーで戦うこととなった。好成績が期待され複数のカテゴリーでシリーズチャンピオンを争ったが、マシンの戦闘力が劣ることからいずれのカテゴリーでもシリーズチャンピオンを獲得することはできなかった。 その後も全日本ツーリングカー選手権への参戦を続け、1994年にはボクスホール(その後オペルに変更)の準ワークスチームで活躍し4勝を挙げ、1995年には3勝を挙げるなどシリーズチャンピオンを争ったものの、同年の全日本ツーリングカー選手権・仙台ではピットロード内で指示違反をした上、コース役員をはね、即刻失格と80万円の罰金を科せられるなど、荒さも目立ってしまう。 しかし、確実に上位に食い込む巧みなドライビングが高く評価されたこともあり、トップクラスのチームからの誘いは多く、以降1998年までの間に、全日本ツーリングカー選手権や全日本GT選手権(JGTC)などの全日本選手権格式のレースや、インターTECなどの国際格式のレースにおいて数回の優勝を勝ち取り、シリーズチャンピオン争いにも加わるなど、安定した好成績を収めている。なお1996年には、ル・マン24時間レースにリスター・ストームで参戦している。
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