F2・耐久レース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 15:26 UTC 版)
「アレッサンドロ・ナニーニ」の記事における「F2・耐久レース」の解説
翌1982年に、F3を飛ばしてF2にステップアップ。この際にナニーニを見出し、力を貸したのがジャンカルロ・ミナルディであった。ミナルディチームから参戦した同年のF2でランキング10位となる。1984年からはランチアワークスから声が掛かり耐久レースにも参戦開始。同年のル・マン24時間レースでは序盤トップを快走する走りを見せた。 ミナルディチームは1985年からF1へのステップアップを決定。ジャンカルロ・ミナルディはナニーニとともにF1にステップアップするつもりでいたが、FISAが「F2での戦績が不十分」としてナニーニへのスーパーライセンス発行を認めなかったため、この年のナニーニのF1行きは流れた。ミナルディチームは代わりにピエルルイジ・マルティニと契約しF1参戦を開始。一方のナニーニはもう1年ランチアワークスから耐久レースに参戦し、スーパーライセンスの発給を待つこととなった。
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