F1引退以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 07:06 UTC 版)
「マーティン・ブランドル」の記事における「F1引退以降」の解説
F1引退以降もル・マン24時間レースには参戦、特に1998年・1999年はトヨタからの参戦であり、TS020を駆った。1999年にはWRC・RACラリーに2度目の参戦、TTEからスポット・ドライバーとして出場するもリタイアしている。 ドライバー業以外では、1997年よりイギリスITVにおけるF1中継で解説を長年担当。しかし2009年、BBCでの解説者へと移籍している。2019年には解説者としての功績を讃えられF1パドック殿堂入りした。 またかつての同僚であるマーク・ブランデルと共に、2004年にドライバー・マネージメント会社「2MB」を共同設立、ドライバー育成プログラムも運営していた。特にデビッド・クルサードのドライビング契約は、11シーズンに渡ってブランドルが交渉していたという。しかし2009年、クルサードの引退、同年よりF2に参戦する息子・アレックスへの支援に専念すること等を理由に、ブランドルはドライバーの全マネージメントから手を引いた。 その後、2011年シーズンにアメリカのグランダム選手権でF1リジェ時代以来18年ぶりのマーク・ブランデルとブラブラコンビを組み、2MBの若手ドライバー育成プログラム生であるザク・ブラウン、マーク・パターソンとともにユナイテッドオートスポーツウィズマイケルシャークレーシングからライリー・フォードを駆り開幕戦のデイトナ24時間耐久レースに出場した。(決勝は4位入賞)
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