E→D→C→B→拒絶×2
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 06:10 UTC 版)
「スイープトウショウ」の記事における「E→D→C→B→拒絶×2」の解説
続いて有馬記念に臨む。その1週間前には、遠藤保仁や明神智和などガンバ大阪の選手がスイープトウショウを訪れている。この時はDコース、ウッドチップコースでスムーズに調教することができていた。そして直前の調教は、週末のレースを前に水曜日に行っている。通常は木曜日に行っていたが、万一に備えて1日早めていた。1週間前と同様にDコースに向かったが、地下馬道では5分の立ち往生で済んでいる。この頃は、2歳牝馬スリジェと調教を共にしていたことで、スムーズに調教をこなすことができていた。スイープトウショウにとってスリジェは「お気に入り」だったという。そして迎えた有馬記念、初の中山競馬場参戦は、枠入り不良、おまけに出遅れて敗退している。 有馬記念の後、放牧に出されて年をまたいでいる。続いて6歳のシーズンは、マイラーズカップでの始動を目指していた。しかしその頃は、坂路をこなすことができなくなっていた。1週間前はCコース、ウッドチップコースにて。直前は、同じくCコースを目指したが、地下馬道で30分立ち往生している。続くヴィクトリアマイル直前は、Cコースを目指したが、またも立ち往生。山田が促しても進もうとはしなかった。そこでCを諦めてBコース・ダートコースへ向かい、調教をこなしている。坂路断念して以降は、このように平地のコースで調教を行っていた。スイープトウショウは頭が良く、1度走ったコースを嫌がる傾向にあった。翻って、初めて、久しぶりのコースならばスムーズに調教を開始することが可能だった。それ以降、嫌がるたびにコースを変えて「E→D→C→B」などと巡る。この頃は、鶴留に「どのコースで追うかが悩みの種」「来週の追い切りが無事にやれるか分からない」などと言わしめていた。 それから宝塚記念直前では、とうとう人間を拒否してしまう。調教前に暴れて、調教に欠かせない鞍を着用できなかった。暴れた挙句に転倒し、右後脚を打撲。調教以前の問題で宝塚記念を回避した。夏休みを経て秋は、京都大賞典を目指した。しばらくBコースを使って順調に調整されていた。迎えたレース当週、直前の調教は万一に備えて水曜日に敢行。Cコース入場には成功した。だがしかし、肝心の調教でまったく走らなかった。ただそんな時のための翌木曜日、鶴留はとっておいた最終手段、緊急用のEコースを使用させた。しかしそれでも駄目。負けじと超最終手段、開き直って坂路に行かせたが、もれなく駄目だった。鶴留は、直前の調教、いわゆる最終追い切りなしにレースに臨むことはできないと考え、スイープトウショウに屈して京都大賞典の回避を決断している。走る気がまるで見られないことから引退の危機とも報じられた。
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