DAICON3とは? わかりやすく解説

DAICON 3

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 22:12 UTC 版)

DAICON FILM」の記事における「DAICON 3」の解説

1981年大阪第20回日本SF大会愛称「DAICON 3(ダイコン・スリー)」、大阪3度目開催であることからこう呼ぶ。DAI大阪の「大」CON大会意味するconventionから来ている。)が開催された時、開会式において1本の8mmアニメーション上映された。日本SF大会開催近辺大学生によって運営されるのが通例であり、DAICON 3も岡田斗司夫武田康廣らを初めとする大阪近辺大学生たち運営主体であった。そして、岡田らから依頼受けて、このアニメーション実際に制作したのは当時大阪芸術大学在籍した庵野秀明赤井孝美山賀博之といった後にプロ活躍する面々だった。 庵野らはそれほど意気込みがなかったが、山賀率先して企画推進した。ペーパーアニメの経験こそあったもののセル画よるアニメ製作は初めての経験だったという。プロとして技術ノウハウ何もない手探りの状態であったため、プロアニメスタジオ足を運び技術学んだ費用削減のため、通常使用しない安価な工業用セルロイドを使うなどの試み行われたSF大会のために集まった彼らは、DAICON 3の終了とともに解散して活動停止するはずであった。しかしイベント運営培った経験技術チームワーク失われることを惜しみなおかつ2年後1983年大阪で再び日本SF大会DAICON 4開催することを目標に、訓練されスタッフ育成のために自主映画活動始めたそのとき結成されたのが、DAICON FILMである。 岡田自身経営するSFグッズ専門店ゼネラルプロダクツ」でDAICON FILM作品映像ソフトグッズ販売1万円上するビデオが3,000本以上売れたという。その利益次の作品の製作費になっていた。 その後DAICON FILM8mm特撮映画愛國戰隊大日本』・『快傑のーてんき』・『帰ってきたウルトラマン』制作した。これらの作品先のDAICON III OPENING ANIMATION』と同様にアニメ雑誌アニメック』で大きく採り上げられDAICON FILM徐々に知名度上げていった。

※この「DAICON 3」の解説は、「DAICON FILM」の解説の一部です。
「DAICON 3」を含む「DAICON FILM」の記事については、「DAICON FILM」の概要を参照ください。

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