DAICON 4
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「DAICON FILM」の記事における「DAICON 4」の解説
1983年、再び大阪で日本SF大会が開催されることになった。大阪で4度目のSF大会「DAICON 4(ダイコン・フォー)」である。このDAICON 4の運営組織であるDAICON 4実行委員会とDAICON FILMは実質的に同じ組織であった。 『DAICON IV OPENING ANIMATION』には、アニメ制作会社アートランドに所属していた板野一郎、平野俊弘、垣野内成美らプロのアニメーターが協力した。これはDAICON 3のオープニングアニメの出来に目をつけたSF企画集団スタジオぬえに誘われて、庵野秀明、山賀博之が上京し、アニメ制作部門のないスタジオぬえがアートランドを紹介。そのアートランドが制作していたテレビアニメ『超時空要塞マクロス』にDAICON FILMから庵野秀明、山賀博之がスタッフとして参加した縁による。この東京での活動は後に彼らがプロとして活躍する足がかりとなった。また、赤井孝美と同郷だった前田真宏、前田の大学の先輩である貞本義行がDAICON FILMに合流、ここで後のガイナックス中核となるメンバーが揃っている。 その後、1984年に当時の自主映画としては珍しい16mmフィルムによる特撮映画『八岐之大蛇の逆襲』を制作した。この作品は1985年バンダイから販売されている。そして、1984年末『王立宇宙軍 オネアミスの翼』の企画をきっかけとして、DAICON FILMを解散しアニメ制作会社ガイナックスを設立した。このDAICON FILMからガイナックス設立へと至る過程は、当時の『月刊モデルグラフィックス』誌上において独占的に連載されていた『オネアミスの翼』制作進行連載において詳細に見ることが出来る。
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