ジョラス
フランスの作曲家。詩人でジャーナリストの父親と翻訳家の母親のもとに生まれた。父親は雑誌『Transition』の創刊者でもあり、ジョラスは幼い頃からジョイスやヘミングウェイ、マティス、ヴァレーズらと顔を合わせることのできる環境にあった。10代の半ばで家族と共にニューヨークに移り、リセ・フランスとベニントン・カレッジで学んだ。ベニントン・カレッジでは、音楽理論やオルガン、ピアノを学んでいる。この頃に、デッソフ合唱団に歌や伴奏で参加したことが、ルネサンス期の音楽にふれるきっかけとなった。帰国後も、フーガや楽曲分析、作曲を学んだ。楽曲分析はメシアンに、作曲はミヨーに師事している。活動の拠点はフランス放送協会におき、その後はパリ音楽院のメシアンの助手を経て教授まで昇格した。
ジョラスの作品は、声楽の書法の探求によるものが多い。『声と音楽(Voix et musique)』(Bulletin de la Societe francaise de philosophie)という講義録も出版されている。
ベッツィ・ジョラス
(Betsy Jolas から転送)
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| ベッツィ・ジョラス Betsy Jolas |
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| 基本情報 | |
| 生誕 | 1926年8月5日(99歳) |
| 職業 | 作曲家 |
ベッツィ・ジョラス(Betsy Jolas, 1926年8月5日 - )は、パリ生まれでアメリカ系の出自を持つフランス在住の現代音楽の作曲家[1]。両親は、ロレーヌ生まれのアメリカ人作家ウジェーヌ・ジョラスと、アメリカ人通訳のマリア・ジョラス。
略歴
ベッツィは1940年に両親とアメリカに移住し、現地にて和声と対位法をポール・ボエップルに、オルガンをカールヴァインリヒに、ピアノをエレーヌ・シュナーベルに師事した。デッソフ合唱団にてピアニスト、合唱家、オルガニストとしての活動を行いながらベニントン大学で学位を得る。
1946年にパリに帰還してからは、パリ国立高等音楽院にてダリウス・ミヨー、シモーヌ・プレ-コサード、オリヴィエ・メシアンに師事。1971年から1974年にかけてメシアンの代理として同音楽院にて楽曲分析クラスを担当、1975年に正式に教授となり、1978年に作曲クラスの教授となる。また、イェール大学、ハーバード大学、バークレー音楽院をはじめ、ミルズ大学のダリウス・ミヨーの講座などで教鞭をとる。
1953年のブザンソン国際作曲コンクールにて優勝。アメリカ芸術・文学アカデミー会員。1995年には三幕から成るオペラ「シュリーマン」が、アラン・フランソンの演出、ケント・ナガノの指揮によって、リヨン歌劇場にて初演された。ジャズトランペッターのアントワーヌ・イルーズは息子[2]。2019年にはロンドンで新作が上演された[3]。
受賞歴
- 国民音楽大賞 (1974)
- パリ市大賞 (1981)
- フランス著作権管理団体大賞 (1982)
- 芸術文化勲章コマンドゥール (1985)
- モーリス・ラヴェル国際賞 (1992)
- レジオンドヌール勲章シュヴァリエ (1997)
脚注
- ^ “Betsy Jolas”. www.musicsalesclassical.com. Music Sales Classical. 2019年12月23日閲覧。
- ^ “Antoine Illouz”. www.discogs.com. Discogs. 2019年12月23日閲覧。
- ^ “Last night the LSO gave the UK premiere of Betsy Jolas' A Little Summer Suite commissioned by Sir Simon Rattle.”. lso.co.uk. LSO Blog. 2019年12月23日閲覧。
関連項目
外部リンク
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