AJSのその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 22:20 UTC 版)
「AJS (オートバイ)」の記事における「AJSのその後」の解説
1960年代末のイギリス・オートバイ産業は、日本車との激しい競争に晒され、斜陽を迎えていた。AJSのブランドは、1966年のAMC倒産と共にノートン・ビリヤーズに所有され、同社のオフロード用2ストローク車種『AJS Stormer』のブランドとして使用された。1968年末、プラムステッド(en) Burrage Groveの工房が、グレーター・ロンドン・カウンシルからの強い要請を受けてAJSのオートバイを製作した。これは、エンジンをウルヴァーハンプトンから、フレームをマンチェスターから仕入れて組まれた完成車だった。また、この工房では同じ時期に『G15』の1969年型がサンプル製造されたとも言われているが販売には至っていない。工房は1969年7月に閉鎖され、結局AJSのロゴがあしらわれた最後の4ストローク車種は『モデル33』となった。 1974年9月、AJSの権利はフラフ・ブラウンが買い取り、生産拠点をハンプシャーのアンドーヴァー(en)近郊にあるGoodworth Clatfordに移して生産が再開された。現在でも、250ccまでの小排気量車種や『AJS Stormer』ブランドのオフロード車の生産が続けられている。
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