A・C区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/08 16:19 UTC 版)
A区では奈良・平安時代の住居跡8軒、掘立柱建物跡3棟、土坑93基、溝状遺構36条、旧河道1流、近世期の竪穴遺構5基、ため池遺構1基などを検出している。C区では縄文時代早期から前期の住居跡1軒、集石土坑6基、平安時代の住居跡3軒、土坑116基、溝状遺構51状、焼土跡24基、13世紀から14世紀の墓と考えられている遺構2基などを検出している。A区で発見された礎板石を持つ掘立柱建物跡は類例が少ない。 A区からの出土遺物は主に土師器・須恵器で、駿東型の甕破片が多い。弥生時代の遺物では磨製石鏃などの石器や短刀などの金属製品も出土している。A区2 - 1の遺構外からは県内で四例目となる猿型土製品が出土したほか、金属製品、陶磁器類が多く出土している。 C区からは縄文時代早期後半から前期にかけての住居跡や集石土坑、平安時代の住居跡、13盛期から14世紀頃の土坑、時期不明であるが平安時代以降の土坑・溝状坑遺構多数、焼土遺構が見られる。また、C区で発見された13世紀から14世紀の墓は人骨と短刀を伴うもので、歯の科学的分析から青年に達しない年代であると鑑定されている。 平安時代の住居跡はA区とC区の離れた場所で発見され、時期的にもずれるため別の集落であると考えられている。C区の平安時代の住居跡からはスモモの核が出土している。住居跡の年代を確定する土器は見られないが、C14年代測定では1号住居跡が11世紀前半から12世紀中頃という年代を示している。
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