6月の洪水
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/15 01:43 UTC 版)
「明治十八年の淀川洪水」の記事における「6月の洪水」の解説
1885年(明治18年)6月は、上旬から二つの低気圧の影響により雨が降り続け、15日の夜からはついに豪雨が始まり、淀川は見る間に増水していった。 16日、淀川右岸の支流である檜尾川(高槻市)、芥川(高槻市)、安威川(茨木市)、茨木川(茨木市)が氾濫し、17日、淀川左岸にある支流の枚方市岡新町の天野川の堤防が決壊、次いで夜に入って枚方市の伊加賀で淀川本流の堤防が30間(約182m)にも渡って決壊する「伊加賀切れ」が発生し、やがて60間(約364m)にまで広がって淀川南側にあふれ出した。淀川左岸の堤防は各所で決壊し、加えて淀川支流の河川や用水路の水もあふれ出し、河内平野の北側一帯が浸水してしまった。水は寝屋川の堤防にまで達してそこで一度止まり、寝屋川以南に被害はなかった。それでも20日に中河内郡で恩智川が氾濫している。 浸水地域は現在の大阪市都島区、旭区、城東区、鶴見区、守口市、門真市、寝屋川市、枚方市、摂津市、茨木市、高槻市の広範囲に上った。 ひとまず洪水の勢いが止まったことにより、建野郷三大阪府知事は大川の堤防をわざと決壊させ、そこからこの膨大な水を流してしまおうと「わざと切れ」と呼ばれる江戸時代から度々行われてきた方法をとることとし、洪水地域の南西の角にあたり、大川と寝屋川の合流地点でもある現・都島区網島町にあった大長寺(現在は藤田邸跡公園)裏の大川左岸堤防を20日から23日にかけて26間を切り、排水を行った。 25日からは枚方市伊加賀で堤防の修復が開始され、28日には大蔵卿の松方正義が工事の視察を行っている。
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