50系からの改造編入車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/06 09:10 UTC 版)
「国鉄62系電車 (初代)」の記事における「50系からの改造編入車」の解説
1949年(昭和24年)9月に総武線平井駅で発生した架線事故で半焼し、休車となっていたクハ65形2両を名古屋工場で復旧のうえ、飯田線用の長距離用電車としたもので、1951年3月に竣功した。 当初の計画では、中央扉を埋め込み、その跡に窓を1個増設した程度の簡易な改造となるはずであったが、改造を担当した名古屋工場では、計画どおりの2扉ボックスシート車としたものの、窓配置と座席配置が一致しないのを嫌って側面を完全に作り替え、幅700mmの窓が並ぶ形態(窓配置dD12D2)とした。そのため、座席間隔は当時の三等車としては破格の1500mmとなった。番号の新旧対照は次のとおりである。 クハ65127, 65169 → クハ77051, 77053 この2両は、後年旧形電車全般に実施された更新修繕IIを実施されず、廃車まで客用扉は木製、屋根上の通風器はガーランド形のままであった。1960年(昭和35年)5月に交流直流両用の試作電車(491系)の電源車に改造されることとなり、前年11月に除籍されていた18051の廃車中止公報が出されたが、その直前に一足違いで廃車解体されてしまい、結局伊那電気鉄道引継ぎのクハ5900形が使用されることになるという逸話もあった。残った18053も1963年(昭和38年)に廃車となった。
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