50歳で現役を引退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 10:27 UTC 版)
2015年9月25日に自身の公式サイト上で現役引退を発表。(ナゴヤドームでのレギュラーシーズン最終戦であった)前日(9月24日)の阪神戦を観戦した際に、若返りを推進しているチームの現状を目の当たりにしたことを理由に挙げた。 2015年9月30日に名古屋市内での記者会見で、引退を正式に発表。50歳1か月26日で迎えた10月7日の対広島戦(マツダスタジアム)でNPB史上初の50歳出場・登板を果たしたことによって、現役生活を締めくくった。この試合では、「打者1人」という条件で先発。先頭打者・丸佳浩を二塁へのゴロに打ち取った。12月2日付でNPBから自由契約選手として公示。現役時代に一貫して着用してきた背番号「34」は2016年入団の左腕投手・福敬登に引き継がれた。「永久欠番にはこだわっていない。できれば、自分と同じ左投手に着用して欲しい」という山本自身の意向と、服部受弘の『10』と西沢道夫の『15』以外の背番号を永久欠番とみなさない中日球団の方針による。中日球団では2016年3月5日のナゴヤドームでのオープン戦(対ヤクルト戦)を山本の「引退試合」として開催した。試合前日(3月4日)には1日限定で山本と選手契約を結ぶことが、球団およびNPBから発表された。中日の選手の引退試合がオープン戦で開かれるのは2014年の山﨑武司以来であり、日本プロ野球で引退試合のために選手契約を結ぶのも山﨑以来である。登録上の背番号は「0」であったが、試合には「打者1人限定」という条件の下に、背番号「34」のユニフォーム姿で先発。元・チームメイトの森岡良介から、3球で三振を奪った。山本の引退により、昭和時代にドラフトで入団し、また後楽園球場の公式戦でのプレーを経験した選手と、ナゴヤ球場の一軍公式戦でのプレーを経験した選手が全員引退した。
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