5.15メモという秘密合意
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/17 14:36 UTC 版)
「沖縄県の米軍訓練空域」の記事における「5.15メモという秘密合意」の解説
1972年段階の沖縄返還協定では合計15区域とされてきた。しかし、米軍は「沖縄返還」後も占領期と同様、場所を特定せず自由に沖縄を訓練地として使用することを要求していた。日本政府は最終的には米国の主張を受け入れ、沖縄返還後も秘密合意で民用地での米軍訓練を大幅に認めていた。この秘密合意は沖縄返還の日、1972年5月15日に行われたことから、一般に「5.15メモ」と呼ばれている。 この日米合同委員会の合意議事録は長らく秘密事項とされていたが、沖縄県の度重なる要請により1997年3月25日にやっと開示され、15区域のほかに、さらに5つの空域が提供されていることが判明した。その5区域とは北部訓練場空域、キャンプ・シュワブ空域、キャンプ・コートニー空域、キャンプ・マクトリアス空域、ホワイト・ビーチ地区空域である。 外務省の日米地位協定のページには、現在も「5・15メモ等」は日本語版の「仮訳」しか掲示されていない。 5.15メモでの「追加」空域15 北部訓練場 77.95 16 キャンプ・シュワブ 135.76 18 キャンプ・コートニー 2.82 19 キャンプ・マクトリアス 0.38 20 ホワイト・ビーチ地区 325.27 また、5.15メモの範疇を超える空域での米軍の訓練も頻繁に行われるため、多くの沖縄の自治体が反対の決議を何度もくりかえしてきた。
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