2013年エジプトクーデター後
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「ハマース」の記事における「2013年エジプトクーデター後」の解説
2013年7月に起こったエジプトでのクーデターにより、ムルシーが失脚。その後のシシ政権は、ガザ地区とエジプトを結ぶ密輸などに使用されているトンネルを「武装勢力に利用されている」として破壊するなどしており、ガザ地区は経済的に苦境に立たされている。 加えて、内戦が長期化したシリアでは、決別したアサド政権が国土西部を中心とした防衛戦略で一定の成功を収める一方、ハマースが支持した反体制派は自由シリア軍・ISILやアルカイーダ等のイスラム過激派・クルド系武装勢力などに分裂し、いずれの勢力からの支援も見込めない状況に陥った(2015年のロシア軍介入以降はアサド政権軍が攻勢に転じ、2020年現在では国土の主要部を奪還)。更に、シリア情勢に関連し、イランともアサド政権政権支持をめぐり関係が希薄化し、支援が大きく縮小。 アラブの春後のエジプトとシリアの情勢を見誤り、エジプト・シリア・イランの後ろ盾をいずれも失ったことで、財政的に困窮しており、職員の給与を分割払いにするなど苦しい状況にある。。 2014年4月23日、ハマスとファタハは共同声明を発表し、5週間以内に統一内閣を樹立するとした。これにハマスをテロ組織と見るイスラエルは反発し、ガザ北部を空爆した。 2014年6月2日、ラミ・ハムダラを首相とする暫定統一内閣が発足。ファタハ、ハマース双方が認める内閣が成立したのは、ハマスがガザ地区を制圧した2007年以来となる。
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