2009年3月末からのデモ活動
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「反独裁民主戦線」の記事における「2009年3月末からのデモ活動」の解説
反独裁民主戦線は2009年も首相退陣と解散総選挙の早期実施、司法におけるダブルスタンダード(二重基準)の解消を求めるため、反政府デモを繰り返した。 3月26日、反独裁民主戦線のデモ参加者は特設ステージを設けるなどして反政府集会を始め、バンコクの首相府を約2万人で包囲し、首相のアピシットに退陣と選挙実施を改めて求めた。26日以降も数千人が包囲し続けた。 4月7日、パタヤでデモ参加者がアピシットの車列を襲撃した。車は警察官に守られて脱出し、アピシットは無事だった。 4月9日、デモ参加者はバンコクにある戦勝記念塔やラチャウィティ通り、パヤータイ通り、スクムウィット通り、ディンデン通り等の道路の一部を封鎖した。 4月11日、パタヤでASEAN+3や東アジアサミットが行われるホテルにデモ参加者が乱入したため、会議は中止を余儀なくされた。すでに会場入りしていた一部の首脳はホテルの屋上からヘリコプターで脱出するなどして、パタヤから避難した。これらの事態を受け、アピシットはパタヤとチョンブリー県に非常事態宣言を発令した。 4月12日、アピシットは内務省からバンコクなど6都県に非常事態宣言を発令した。しかし、デモ参加者は内務省や他の省庁、またテレビ局などにも乱入した。 4月13日未明、バンコクの憲法裁判所に手榴弾が投擲され、軍関係者1人が負傷した。早朝、治安部隊は催涙ガスを使用して戦勝記念塔付近等、バンコク都内数ヶ所でデモ参加者の強制排除を開始した。デモ参加者はタンクローリーで道路を封鎖したりバスを燃やすなどして抵抗したが、治安部隊の威嚇射撃を受けるなどして最終的には逃走した。午後、治安部隊は首相府を包囲しているデモ参加者に対して強制排除の態勢を整えた。 4月14日、反独裁民主戦線幹部のウィーラ・ムシッカポンは首相府前で演説し、デモ活動停止を発表した。これを受け首相府を包囲していたデモ参加者は解散し、幹部の多くは警察に出頭した。 4月24日、アピシットは非常事態宣言を解除した。これにより死者2人、負傷者110人以上を出した2009年3月末からの混乱は収まった。
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