2001年 ホップマン杯初優勝
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「ロジャー・フェデラー」の記事における「2001年 ホップマン杯初優勝」の解説
2001年1月、ホップマンカップでスイスの優勝に貢献。2月のロッテルダムは準優勝。続くミラン・インドアでは準決勝でエフゲニー・カフェルニコフを下し、勢いそのままに念願のATPツアー・シングルス・タイトルを手にした。更に全仏オープンで準々決勝に勝ち進み、活躍に弾みをつけた。そして6月、ウィンブルドンの4回戦に勝ち進み、優勝候補のピート・サンプラスと初対戦となった。当時のサンプラスはテニス界で一時代を築いており、特に同選手権では1993年から2000年に掛けて7度も制覇するなど絶対的な強さを誇っていた。サンプラス優位と予想される中、試合は序盤から拮抗した打ち合いが続いた。互いに2セットずつ奪い合って迎えた最終セット第9ゲーム、フェデラーがサービスゲームでミスを誘われブレークピンチを招いてしまう。いつものフェデラーなら感情的になって自滅する展開だったが、気持ちを切り替えてサンプラスに食らい付き、2度のデュースを凌いでサービスキープに成功。課題だった感情の制御を克服しつつある事を示した。そして第12ゲーム、今度はフェデラーがサンプラスのミスを誘ってブレークチャンスを掴み、最後はフォアハンドのリターンエースで決着をつけ、3時間41分に渡る7-6(7), 5-7, 6-4, 6-7(2), 7-5 の番狂わせを演じ切った。この一戦は大きな注目を集め、一躍フェデラーを時の人とし、サンプラス時代の終焉を予感させる出来事となった。この後、フェデラーはティム・ヘンマン戦で力尽き、準々決勝でウィンブルドンを去る事となる。この年はバーゼルでも準優勝し、ランキングを12位まで上げ、準優勝2回、優勝1回、49勝21敗でシーズンを終えた。
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