1999-2005:パーロフォンへの移籍と『フィーヴァー』の大成功
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1999年、EMI傘下のパーロフォンに移籍。自身のアルバム発表に先駆け、同じくパーロフォン所属のペット・ショップ・ボーイズの楽曲"In Denial"(アルバム『ナイトライフ』収録)にゲスト参加する。 2000年、移籍後初のアルバム『ライト・イヤーズ』を発表。リードシングル「スピニング・アラウンド」が10年ぶりに全英シングルチャートで1位を獲得し劇的な復活を遂げ、「オン・ア・ナイト・ライク・ディス」(全英2位)やロビー・ウィリアムズとの「キッズ」(全英2位)など後続のシングルカットも次々ヒットして第2の黄金期を創出する。また、「スピニング・アラウンド」のミュージック・ビデオで見せたゴールドのホットパンツや、同年オーストラリアで開催されたシドニーオリンピックの閉会式での歌唱も話題となった。 追い風に乗ったカイリーは2001年にアルバム『フィーヴァー』を発表。リードシングル「熱く胸を焦がして」は全英1位に輝いたのみならず世界中でナンバーワンを獲得、約100万枚と彼女のキャリア史上最大のセールスを挙げた。そして、このシングルは2001年で世界一の売り上げを記録した。また、2002年に入ってアメリカでも大ヒット(ビルボードでは最高7位、ダンスチャートでは初の1位に輝いた)。さらに「フィーヴァー」は全英アルバムチャートで9年ぶりの首位を獲得するだけでなく、全米でも3位まで上昇するなどデビュー当時を上回る人気を獲得した。カイリーのアルバムが全米ビルボードのアルバムチャートTOP3にチャートインするのはこれが初であった。このアルバムからは他にも「イン・ユア・アイズ」(全英3位、豪州1位)、「ラヴ・アット・ファースト・サイト」(全英2位、全米ダンスチャート1位)などのヒットが生まれた。 同年、同じオーストラリア出身のバズ・ラーマン監督の『ムーラン・ルージュ』にアブサンの妖精 "The Green Fairy" として登場。『サウンド・オブ・ミュージック』を歌った。 2003年、9枚目のアルバム『ボディ・ランゲージ』を発表。先行シングル「スロウ」は自身7曲目の全英1位となった。 2004年、『フィーヴァー』から最後のシングルとしてカットされていた「カム・イントゥ・マイ・ワールド」でグラミー賞 "Best Dance Recording部門" を受賞。 この年には自身のキャリアを総括したベスト・アルバム『コンプリート・ベスト』が発売された。
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