1999年 - 2001年:ジェイムス加入、マルーン5誕生
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「マルーン5」の記事における「1999年 - 2001年:ジェイムス加入、マルーン5誕生」の解説
バンド活動が停滞してしまった彼らは、それぞれ大学へ進学する。ミッキーとライアンはカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)へ、アダムとジェシーはニューヨーク州ロング・アイランドにあるファイブ・タウンズ・カレッジ(Five Towns College)へ通う。この期間にリズム・アンド・ブルース(R&B)やソウルミュージックといった音楽にも触れ、ロックとR&B、ソウルを融合させたオリジナル・サウンドを見出すことになった。 「廊下を歩いていると爆音のゴスペル音楽が聞こえたり、周りのクラスメイトは僕たちが当時実際耳を傾けたことがなかったノトーリアス・B.I.G.やミッシー・エリオット、ジェイ・Zなんかを聴いていたんだ。」「当時アリーヤのアルバムがリリースされて、あの作品には度肝を抜かれたよ。」「僕は多くの時間をNYで過ごした。そこではLAでは経験したことがなかったような都会の空気やヒップホップ・カルチャーに晒された。僕を全く新しい種類の音楽に向けさせ、僕のソングライティングに今日まで続く深い影響を与えたんだ。」 — アダム その後、アダムとジェシーは大学を中退して西海岸へ戻り、ミッキーやライアンとともに再びバンド活動を再開させる。作成したデモ・テープが、当時ニューヨークを拠点に新たに設立されたレコードレーベルオクトーン・レコード(Octone Records)に注目され、2001年4月に契約を結ぶことに成功する(彼らが契約第1号となった)。その直後、友人であるジェイムス・ヴァレンタインが加入し、ジェシーがキーボードに専念することになりバンド名を「マルーン5」と改名した。ジェイムスはすでに別のバンド「スクエア」(Square)で活動していたが、アダムに誘われてマルーン5加入を決意した。
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