1980年代後半 -一瞬だけの栄光-
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 04:58 UTC 版)
「インテルナツィオナーレ・ミラノ」の記事における「1980年代後半 -一瞬だけの栄光-」の解説
その後フライッツォーリ会長は1984年に"フィアットの従業員"と揶揄されたエルネスト・ペッレグリーニに会長職を譲る。そして1986年、ペッレグリーニ会長はユーヴェに黄金時代を築いたジョヴァンニ・トラパットーニ監督を招聘し、インテルの復活を託す。 最初の2年間は結果が出なかったが、1988-89シーズン、勝負弱さをドイツ人ローター・マテウスの"ゲルマン魂"を注入することにより補填し、ファケッティ引退以降不在となっていた左SBを同じドイツ人のアンドレアス・ブレーメで埋め、生え抜きのワルター・ゼンガ、ジュゼッペ・ベルゴミ、リッカールド・フェッリ、若手のニコラ・ベルティ、アレッサンドロ・ビアンチ、アルゼンチン人のラモン・ディアス、得点王に輝いたアルド・セレーナなどを擁し、スクデットを獲得した。この時のスクデットは勝ち点が勝ち=2の制度の下では最高記録となる58(34試合26勝6分2敗。現在のシステムでは84)、アウェー最多勝ち点26(17試合11勝4分2敗。現在のシステムでは37)、アウェー最多勝利など数々の当時のリーグ記録を塗りかえるものだった。 翌シーズンドイツ人のユルゲン・クリンスマンを迎え、ドイツトリオを中心としたインテルはスーペルコッパ・イタリアーナを制し、今度こそ黄金時代の再来かと思わせたが、それも一瞬の栄光に過ぎなかった。
※この「1980年代後半 -一瞬だけの栄光-」の解説は、「インテルナツィオナーレ・ミラノ」の解説の一部です。
「1980年代後半 -一瞬だけの栄光-」を含む「インテルナツィオナーレ・ミラノ」の記事については、「インテルナツィオナーレ・ミラノ」の概要を参照ください。
- 1980年代後半 -一瞬だけの栄光-のページへのリンク