1980年オリンピック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 08:14 UTC 版)
「ラッセ・ビレン」の記事における「1980年オリンピック」の解説
ビレンは1980年モスクワオリンピックで運動選手の生涯に終止符を打った。10000メートル競走で5着に終わった。10000メートル競走の予選では28分45秒という成績しか出せず失望され、しかも4着だったため本来ならば「成績が最も良い予選落ち」として予選を通過するはずだったが、アイルランド選手ジョン・トレーシーが熱射病で倒れてしまったため、予選落ちの選手のうち成績が最も良いビレンが繰り上げで予選を通過した。彼は先頭集団に圧力をかけ続けて、あと300メートルのところでミルツ・イフターのラストスパートに敗れた。イフターは金メダルを獲得した。一部ではもしビレンがマラソン風のトレーニングを減らしていたらより良い成績を出せたはずだという主張があったが、ビレン自身はオリンピック直前に足を怪我していなければより良い成績を出せたはずだと信じていた。別の文献ではビレンがオリンピックへの準備としてコロンビアとカナリア諸島で数か月トレーニングを行ったとき、マッサージ師を連れて行かなかったため足の筋肉が硬直してしまい、速度トレーニングの効率が落ちて怪我を引き起こし、最高速度が不足してしまったとした。ビレンは5000メートル競走をスキップしてマラソン競走に参加、20キロメートル以上先頭集団を維持したが、30キロメートルを目前に胃の問題でリタイヤした。その後、ビレンは1980年秋に引退を宣言した。
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