1979年 - 1997年
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「カロライナ・ハリケーンズ」の記事における「1979年 - 1997年」の解説
1979年にWHA がその幕を閉じると、ホエーラーズを含むWHAの4チームはNHLに吸収された。そしてチーム名をハートフォード・ホエーラーズに改称し、新たなロゴマークとユニフォームが採用された。51歳のゴーディ・ハウはNHL選手として最後のシーズンを送り、全80試合に出場、古巣デトロイトで行われたオールスターゲームにも出場し有終の美を飾った。また、ホエーラーズはハウに加えてもう一人の40代選手ボビー・ハルを獲得したが、ハルは引退までにわずか9試合に出場したのみに終わった。 NHLに所属したハートフォードの18年間の大半は、「無益」の一言に等しかった。唯一チームに光明が見えたといえるのは、1980年代中後半位である。ホエーラーズは5年連続でプレイオフ進出を逸した後、1985-86シーズンに Sylvain Turgeon (自己ベストのシーズン45ゴールを記録)、2年目のレイ・フェラーロ(Ray Ferraro)らの活躍で バッファロー・セイバーズを4ポイント上回ってアダムス地区決勝に進出を果した。第1ラウンドではケベック・ノルディクス(後のコロラド・アバランチ)を撃破したが、第2ラウンドではモントリオール・カナディアンズに第7試合延長戦で惜敗した(カナディアンズはこの年スタンレー・カップ優勝)。この年度がホエーラーズがノースカロライナ州ローリーに移転するまで、プレイオフにおいて最も好成績を収めた年度となった。 翌1986-87シーズン、ホエーラーズはアダムス地区第1位の成績を残したものの、決勝第1ラウンドでケベック・ノルディクスの前に敗退。この後も1992年まで毎年プレイオフ進出を果すもののすべて第1ラウンド敗退を重ねた。
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