1969年度の日本一
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1969年度、有賀健らを擁して関東大学ラグビー対抗戦グループで初優勝をもたらすと、続く第6回全国大学ラグビーフットボール選手権大会でも決勝で早稲田大学(以下、早稲田)を11-9で下し初優勝。そして続く第7回日本ラグビーフットボール選手権大会では、社会人代表がなかなか決まらず、すったもんだの末、富士鐵釜石(後の新日本製鐵釜石ラグビー部、現 釜石シーウェイブス)が出場することになったが、29-13でこれを撃破し、早稲田に続いて、大学チームとしては史上3校目となるラグビー日本一を果たした。 監督:綿井永寿 番号選手名学年出身校1 橋本文夫 4年 平沼 2 関口憲明 4年 保善 3 夏目 年 4 川村貢一 4年 都立園芸 5 浜武常司 3年 西海学園 6 佐野康雄 4年 日川 7 福沢 年 8 赤間英夫 3年 福岡電波 9 本田泰則 1年 目黒 10 青木孝也 4年 大東大一 11 有賀健 1年 日川 12 吉村孝秀 4年 錦城 13 小田木透 4年 都立園芸 14 佐藤司 4年 北海 15 戸嶋文夫 4年 金足農 ※ 太字はキャプテン。 この事実は、早稲田、慶應、明治のいわゆる「早慶明」に伍して戦えるチームが現れたことを意味するに他ならず、その後対抗戦グループはしばらく、「早慶明体」の四強時代が形成された。 そして1978年度に行われた第15回全国大学ラグビーフットボール選手権大会において、岩出雅之らを擁し、9年ぶり2度目の大学日本一の座に就いた。続く日本選手権では再び新日鐵釜石との対戦となったが、0-24で完敗した。ちなみにこの一戦は、後に日本選手権7連覇を達成することになる新日鐵釜石のV1にあたる。 また監督の傍ら、主にNHKのラグビー中継の解説者として多数出演歴がある。 1988年、日体大学長代行に就任。そして1992年2月〜1998年3月まで同学長を務めた。
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1969年度の日本一
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1969年度の第7回日本ラグビーフットボール選手権大会(1970年1月15日)で、富士鐡釜石を29-13で破り初優勝を果たした。下記は当校日本一の試合時におけるフィフティーンである。 監督:綿井永寿 番号選手名学年出身校1 橋本文夫 4年 平沼 2 関口憲明 4年 保善 3 夏目健 3年 熊谷商 4 川村貢一 4年 都立園芸 5 浜武常司 3年 西海学園 6 佐野康雄 4年 日川 7 福沢敏夫 3年 新田 8 赤間英夫 3年 福岡電波 9 本田泰則 1年 目黒 10 青木孝也 4年 大東大一 11 有賀健 1年 日川 12 吉村孝秀 4年 錦城 13 小田木透 4年 都立園芸 14 佐藤司 4年 北海 15 戸嶋文夫 4年 金足農 ※ 太字はキャプテン。
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