1966年: 水素爆弾の回収補助
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/03 07:27 UTC 版)
「アルミノート」の記事における「1966年: 水素爆弾の回収補助」の解説
詳細は「パロマレス米軍機墜落事故」を参照 アルミノートは事故時に有用だった。1966年1月17日、TNT換算で1.45メガトンの水素爆弾がスペインのパロマレス沖合の地中海でアメリカ空軍のパロマレスB52事故によって失われた。 B-52爆撃機とKC-135空中給油機の事故で8人の乗員が死亡した。3基の水素爆弾は地上に落下して1基は水中に沈んだ。地上に落ちた爆弾は速やかに落下地点を特定できたものの、海に沈んだ爆弾は場所の特定ができなかった。 アメリカ海軍はWilliam S. "Wild Bill" Guest提督の下でスペイン沿岸に18隻の艦船、2,200名を回収任務に充当した。さらに艦船や民間の乗員のアルミノートと深海探査艇(DSV), アルビン号の両船が専用の機材を装備して共同でこの未曽有の危機に対処する事になった。アルミノートとアルビンは水深を調べ沈没した爆弾の位置を特定する任務に就いた。80日間の探索はアメリカとスペインの関係に軋轢をもたらし、ソビエトの広報者はタイム誌に反米の豊富な放射性降下物と記述した。 爆弾はアルビンによって水深910m付近で発見され、1966年4月に回収された。 Guest提督は報道に写真撮影を許可して2,100トン (2,100 t)の潜水艦救難艦のUSS Petrel上で水素爆弾の写真が撮影された。
※この「1966年: 水素爆弾の回収補助」の解説は、「アルミノート」の解説の一部です。
「1966年: 水素爆弾の回収補助」を含む「アルミノート」の記事については、「アルミノート」の概要を参照ください。
- 1966年: 水素爆弾の回収補助のページへのリンク