1934年の日本訪問
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 09:11 UTC 版)
「コニー・マック」の記事における「1934年の日本訪問」の解説
1934年に日米野球で日本を訪れたマックはマスメディアに向けて日本に対する印象を語っている。「日本の選手の試合に臨む態度は実に立派」であって、アメリカ合衆国へこのまま連れて行っても「絶対に恥ずかしくない」と断言した。初の日本訪問だったにも関わらず球場に詰め掛ける日本人に対して温かい眼差しを向け、「野球好きの日本人が敵になる筈が無い」と確信していた。 「 私は予ねてから日本及び日本人に非常な好感を抱いている。例えば日米間の色々な問題、或いは国際連盟並びに満州問題などに対して、それが起こるたびに常に日本側に加担して物を考えてきた。ところで今こうして日本の風物に接し、色々な人に接して、自分が本国で想像していた事が決して感情から生まれたものでは無い事が解った。自分の想像が絶対に裏切られなかった事が、より一層自分の今までの気持ちを濃厚にしてくれた事を嬉しく思っている。日本人の真の性格と云うものは、本の上で読んだり人から聞いて見ただけではその真髄が解らない。実際に触れて見ると、何とも言えぬ奥床しいところを持っている国民である事を知った。私は日本の少年少女から手紙を幾つか貰ったが、一々松本さん(松本瀧藏明治大学教授)にお願いして返事を出して貰っている。少年少女の偽らぬ感情の中から、日本人に対する愛着の念が一層深くなった。・・・・・・私は今後一層日米親善のため出来るだけ尽力したいと考えている。 」 マックは日本に忍び寄る軍国主義の影も同時に感じ取っていた。自伝には「日本人の笑顔の背後に何があったか解らない。だが戦争の影はこの当時まかれていた。我々の部屋は絶えず監視され、それはどこへ行っても付きまとっていた」と記している。
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