1931年のグランプリ・シーズン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/05 13:14 UTC 版)
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1931年のグランプリ・シーズンはAIACRヨーロッパ・ドライバーズ選手権のタイトルが懸けられた最初のグランプリ・シーズンである。選手権はアルファコルセのフェルディナンド・ミノイヤが制したが、ミノイヤがシーズン中グランプリに勝利することは無かった。現在のFIA世界耐久選手権と同様に選手権は耐久レースで構成され、3つのグランプリは全て10時間の耐久レースとして行われた。長時間のグランプリを走り抜くため多くのチームが複数のドライバーでレースを戦った。
シーズン概要
シーズン開幕前、前年にアルファロメオでチームメイトのタツィオ・ヌヴォラーリと激しく争い、イタリア選手権を制したアキーレ・ヴァルツィがブガッティに加入した。イタリアを代表するドライバーだったヴァルツィがフランスのメーカーと契約したことはイタリア国内で大きな物議をかもした。[1] このシーズン、アルファロメオは最初のモノポスト(シングルシーター)レースカーとなるアルファロメオ・ティーポAを投入した。一方のブガッティは長年活躍してきたタイプ35の後継として新型の2.3Lブガッティ・タイプ51を投入した。 注目されたヌヴォラーリとヴァルツィの対決だったが、両者はマシントラブルに悩まされ、最初のヨーロッパ選手権を制したのは堅実な成績を残したアルファロメオのミノイヤだった。 7月のドイツグランプリは雨のレースとなり、多くのドライバーが苦戦する中メルセデスSSKに乗るルドルフ・カラツィオラがこのグラン・エプルーヴを制し、世界恐慌の中で悲惨な経済状況に苦しむドイツ国民に明るいニュースを届けた。カラツィオラはこの年のアヴスレンネンとアイフェルレンネンも制し一躍レース界の注目を集めることとなった。
ヨーロッパ選手権グランプリ

Rd | 開催日 | レース | サーキット | 優勝者 | コンストラクター | レポート |
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1 | 5月24日 | ![]() |
モンツァ・サーキット | ![]() |
アルファロメオ | 詳細 |
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2 | 6月21日 | ![]() |
リナ・モンレリ | ![]() |
ブガッティ | 詳細 |
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3 | 7月12日 | ![]() |
スパ・フランコルシャン | ![]() |
ブガッティ | 詳細 |
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非選手権グランプリ
黄色の背景はグラン・エプルーヴ
開催日 | レース | サーキット | 優勝者 | コンストラクター | レポート |
---|---|---|---|---|---|
3月29日 | ![]() |
カルタゴ市街地コース | ![]() |
ブガッティ | 詳細 |
4月6日 | ![]() |
サン=ラファエル市街地コース | ![]() |
ブガッティ | 詳細 |
4月19日 | ![]() |
モンテカルロ市街地コース | ![]() |
ブガッティ | 詳細 |
4月26日 | ![]() |
アレッサンドリア市街地コース | ![]() |
ブガッティ | 詳細 |
5月10日 | ![]() |
グランデ・マドニエ | ![]() |
アルファロメオ | 詳細 |
5月10日 | ![]() |
ペロンヌ市街地コース | ![]() |
ブガッティ | 詳細 |
5月17日 | ![]() |
アンファ市街地コース | ![]() |
ブガッティ | 詳細 |
6月6日 | ![]() |
フェニックス・パーク | ![]() |
MG | 詳細 |
6月7日 | ![]() |
メイラン市街地コース | ![]() |
ブガッティ | 詳細 |
6月7日 | ![]() |
リットリオ・サーキット | ![]() |
マセラティ | 詳細 |
6月7日 | ![]() |
リヴィウ市街地コース | ![]() |
メルセデス・ベンツ | 詳細 |
6月7日 | ![]() |
ニュルブルクリンク | ![]() |
メルセデス・ベンツ | 詳細 |
7月5日 | ![]() |
ランス・グー | ![]() |
ブガッティ | 詳細 |
7月5日 | ![]() |
アヴィニョン市街地コース | ![]() |
ブガッティ | 詳細 |
7月19日 | ![]() |
ニュルブルクリンク | ![]() |
メルセデス・ベンツ | 詳細 |
7月26日 | ![]() |
ディエップ市街地コース | ![]() |
アルファロメオ | 詳細 |
8月2日 | ![]() |
モンテネーロ・サーキット | ![]() |
アルファロメオ | 詳細 |
8月2日 | ![]() |
アヴス | ![]() |
メルセデス・ベンツ | 詳細 |
8月2日 | ![]() |
グルノーブル市街地コース | ![]() |
アルファロメオ | 詳細 |
8月16日 | ![]() |
サン=ゴーダンス市街地コース | ![]() |
アルファロメオ | 詳細 |
8月16日 | ![]() |
ペスカーラ・サーキット | ![]() |
アルファロメオ | 詳細 |
9月6日 | ![]() |
モンツァ・サーキット | ![]() |
マセラティ | 詳細 |
9月13日 | ![]() |
ラ・ボル市街地コース | ![]() |
ブガッティ | 詳細 |
9月27日 | ![]() |
ブルノ市街地コース | ![]() |
ブガッティ | 詳細 |
9月27日 | ![]() |
ブリニョール市街地コース | ![]() |
ブガッティ | 詳細 |
10月17日 | ![]() |
ブルックランズ | ![]() |
マセラティ | 詳細 |
1931年のドライバーズランキング
ミノイヤとカンパーリは同ポイントで選手権を終えたが、ミノイヤの合計走行距離がカンパーリを上回ったためミノイヤがチャンピオンとなる
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参考文献
Etzrodt, Hans. “Grand Prix Winners 1895–1949 : Part 2 (1919–1933)”. The Golden Era of Grand Prix Racing. 2007年6月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月4日閲覧。
Galpin, Darren. “1931 Grands Prix”. The GEL Motorsport Information Page. 2007年8月4日閲覧。
脚注
- 1931年のグランプリシーズンのページへのリンク